帰宅困難区域では自分の家に入ると「不法侵入」
現在、双葉町、大熊町、そして富岡町の一部が、帰宅困難区域っていうことになっています。5年間は帰れませんよという状態になっています。
不思議なのは、自分の自宅に入るのに許可がないと罰金とられたり拘留されたりするということ。自分の家に入るのに、なんで罰金を払わなきゃならないのっていう話です。いや、おかしな話だねっていつも言うんですが、許可なく入ると不法侵入の扱いです。自分の土地なのになんで不法侵入なんだ! っていつも言いたくなるんですが、そういうことなんです。
(同じ部分の繰り返しになりますが、佐藤さんの言葉をできるだけそのまま書き起こします。佐藤さんには申し訳ないのですが、しゃべり言葉の方がダイレクトに心情が入っていくと思うので。佐藤さんごめんなさい)
不思議だなって思うのは、あの、自分の自宅に許可がない、許可がないと、ね、許可なく立ち入りすると、あの、罰金とか拘留されますよっての。自分の家に入るのになんで罰金払わなきゃならないのっていう話になっちゃうの。いや、おっかしいよねえってのがいつもありますけど。いまでもそうです。許可なく入ると不法侵入みたくなっちゃうんです。自分の土地に入るのになんで不法侵入なんだよ! っていつも言いたくなるんですけど。……そういうことがあります。
時は止まっている。朽ちていく時間だけが過ぎていく
(佐藤さんはスライドを見せながら話を続けます)
で、これ。双葉町。うちの町並みです。これは2012年のスライド。1年3カ月とか4カ月経った後です。
まぁ、もう、時が止まってる状況です。
時が止まってるって言い方もおかしいですね。時は止まりつつ、時間だけは経過しているんです。要は町が、風景が、そのままなのに、朽ちていく時間だけは過ぎていく。だから震災の後、手つかずの状態なんですが、その状態のままで朽ちていく。時間は過ぎていく。そういう状況です。
だからいま、この同じ場所から同じように撮影しても、だいたい同じように写ります。いまだに変わらないです、ほとんど。ただ朽ちていくっていうことです。朽ちていくことを除けば、同じような風景が淡々と、いまだに続いています。
そのまま住めそうに思えた自宅が…
これなんか、まあ私の自宅なんですけど。自宅は山の中に入ったところにありました。ご覧のとおり、ぱっと見は普通に住めそうに見えます。この写真は2011年の10月なんですけど、3月から約半年。初めての一時帰宅って時ですね。
「いや、住めるのになぁ」
「何でもねえじゃん」
みたいな話をその時はしてて。でも、いまは、あれから3年経ってみると状況はまったく違う。朽ちていくというがあるんで。
いま、ドア開かないんです。玄関がもう開かなくなっています。窓ガラスもそうです。開けようと思っても開かないんです。
人が住まない3年って、朽ちていくのが早いんです。で、家の中にネズミのフンがすごい。ネズミが大量繁殖なんです。もう、にっちもさっちもいかないんです。
一時帰宅の時に見た町の風景
この写真はうちの消防団の詰所ですが、ここの時計も2時47分、48分くらいで止まっています。地震の時間ですね。
海沿いの家は、たとえ家が建っていても1階部分は全部持っていかれている。
これ、海の砂浜です。砂浜なんですけど、俺が海に行ったときはこの道は通れなかったんです。もう防風林の松の木がバーンとなっていて、オフロードのバイクでも通れる状態じゃなかったんですけど、避難になった後になって自衛隊がやっていったんだなと思います。
で、これは2012年の2月。この頃はまだ「いたって普通だし、住めるのにね」って話していた頃。
こっちは私の隣の家なんですけど、空き巣っていうか火事場泥棒に遭って、家の中のものはほとんど全部持っていかれています。何もないです。それに窓ガラスが割られて、雨風が家の中に入って、障子なんて破れちゃうし。もうここの玄関のドアなんて開きっぱなしですよ。……火事場泥棒ってのもあります。
でね、これは最初の方で話した、倒れた家が道路を1車線ふさいでるので、なかなか通ることができなかったです。これで大渋滞を引き起こしたということです。それがそのまま残っています。
町に人が入れなくなって、景色は変わらないけれど、朽ちていく時間だけが過ぎていくのが目に見えてわかる。この現状ってのはいまだに続いています。
宮城・岩手とは明らかに異なる
福島の被害は明らかに異なります。地震、津波の傷跡ってのは三県ともにあります。同じです。福島には放射能の問題ってのが、それ以上に大きくあります。このことを皆さんに覚えておいてもらいたい。いまだに帰れない人がいるということを。
先が見えない不安……が大きいんです。
先が見えない不安って何かっていうと、いつ家に帰れるかわからない。もう、それだけです。国がね、何の試算もしてません。一応、帰還困難区域は5年間は帰れませんよとされています。
それじゃあ5年と1日目には帰れるのかよ、ってことです。
それはわからないと言われます。じゃあ何年後だよ。いやそれも検討中です。結局いつ帰れるかわからないから、もうどうにもならない。先の見えない不安にみんな苛まれている。
最初の1年目、2年目っていうのは、「いやもう帰りたい、帰りたい」って言ってた人がいっぱいいた。ただ3年目になって、「もう無理だな」。
絶望に変わっているんです。
じゃあどうしようってことです。要は避難先の土地にに留まるかどうするか。帰る人は帰る。「とにかく福島に帰りたい」「もう仮設でもどこでもいい。福島ならどこでもいいから帰りたい」って人はもう帰ってる。残る人は残る。
もう完璧に分かれている。帰る人、残る人がはっきりしている。でもいまだに静岡県には、1,086人かな、まだ静岡県内に避難している人がいます。残ってる。まあ、その人たちは避難といっていいかどうかわからないです。
でも自分たちの心の中にね。私は個人的にはいまもまだ避難だと思っています。帰るって決めて、家に帰った時にはじめて避難が終了、ってことだと思うんで。だから、
震災ってまだまだ終わってないんです。避難している人がいる限り。
家に帰ってはじめて、やっとこれで終わったと。町並みも復興したねってことになってはじめて、これでやっと震災が終わったね、ってなるんです。だけどまだ復興の「ふ」の字もない。
岩手も宮城も同じです。海岸部はまだまだです。もともと海辺に住んでいた人たちが、ここには家は建てられませんよって言われる。自分の土地なのになんで家が建てられないんだっていう辛い思いがあります。で、集団移転だ高台移転だって、じゃあ山の上に移転できるかって言ったら、なかなか難しい。なかなか進まない。同じです。
ただ福島に関してはどうしても放射能の問題ってのが一番デカいんで、福島に関してはさらに難しいんじゃないかなと思うんです。なかなか難しい。
先の見えない不安が大きくのしかかっている。
そういうような状態なんです。
(つづく)
書きおこしと編集●井上良太
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