復興支援ベース アーカイブス -2

iRyota25

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復興支援ベースに掲載された過去の記事から、もう一度読み返してみたいものを取り上げるこのコーナー、2回目はこちらの3本をご紹介します。

1本目は、ふる里と避難先で離れて生活することになった家族の物語。2本目は気仙沼にあった大型漁船「第18共徳丸」の写真記事。そして最後に、震災から2年目に静岡の方が考えられたこと。今回もCM付きでお届けです。

いますぐにでも戻りたいけれど、それができない

初めて会ったのは、東北から静岡県に避難している人たちと休日を楽しむイベントでした。たくさん集まった人たちの中でもひときわ明るく元気な印象だった川里さんと話していたら、ふる里である福島県南相馬市にいまも残るご両親と離れ離れの生活を続けているとのこと。川里さんとご両親に話を伺った2012年のシリーズ取材記事です。

 自分たち家族は浜松で避難生活。両親は南相馬。 いますぐにでも戻りたいけれど、それができない(2011年11月27日)
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 ずっと地元で生きてきたから、復興の現実を見つめる目はシビア。それでも弱音を吐かない強さ(2012年1月21日)
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 この土地で電気関係の仕事をしているんだから放射能の知識はあった。でも、娘の切実な訴えに負けて、一度は静岡へ避難した(2012年1月21日)
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 いまは仕事はあるけれど――。 完戸さんが危惧する数年先の南相馬(2012年1月21日)
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自分たち家族は浜松で避難生活。両親は南相馬。 いますぐにでも戻りたいけれど、それができない――。
一本目の記事のタイトルを書きながら胸が詰まったのを思い出します。

状況はいまも変わらないのですが。

いまや跡形もなくなった第18共徳丸

先月、気仙沼の鹿折にいったら「アレ」がなくなっていました。第18共徳丸――。
撤去されるとは聞いていても、実際に何もなくなったことは少なからず驚きでした。

 「最後に残った1隻――気仙沼」
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そこにあったものが、まったく消え去っている。その感覚をどう伝えたらいいのでしょう。一日も早い撤去をとの地元の大多数の声と震災遺構として残すべきとの声との間でゆれた漁船の2012年10月の姿です。

あのころCMライブラリー

アーカイブじゃないけど、こころに残ったコマーシャルとして……。

こころの言葉はこだまする 心にしみたCM

YouTube

こだまでしょうか……

「思い出したら、ほんのちょっとだけ行動しよう」

忙しい毎日を送っていると、そのことばかり考えていられないってことはあります。
だから無理せず、といって記憶を風化させることなく――。
健全であることの大切さを教えてくれた投稿記事でした。

 人それぞれの「復興支援」
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ただし、「思い出したら、ほんのちょっとだけ行動しよう」ということも決めました。
という一文に「いいね!」と「なるほど!」を100個くらい送りたい!

構成●井上良太

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