いまは仕事はあるけれど――。 完戸さんが危惧する数年先の南相馬(2012年1月21日)

iRyota25

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2012年1月、南相馬にお住いの完戸富吉(ししどとみよし)さんに伺った話を改めて掲載します。

完戸さんは南相馬市で電気関係の設備工事の会社を経営しています。娘さん2人はそれぞれ近くに嫁ぎ、息子さんはヨーロッパに音楽留学中。2011年3月11日の地震と津波に伴う原発事故で、家族そろって静岡県にいったんは避難。しかし会社を経営する完戸さんと生命保険会社にお勤めの奥さんの2人は3月末に南相馬に戻ってきます。以来、こどもや孫達と離れた場所で生活を送っているのです。

震災から10カ月が過ぎた2012年の1月、完戸さんが語った「南相馬の将来」についての話です。元の記事ではコラムとしていましたが、改めて紹介します。

 【元の記事】この土地で電気関係の仕事をしているんだから 放射能の知識はあった。でも、 娘の切実な訴えに負けて、一度は静岡へ避難した(2012年1月21日)
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国道6号線が分断されたままでは……

警戒区域は立入禁止との電光表示

警戒区域は立入禁止との電光表示

文中で触れたように、原発事故で立入禁止区域が設定されたため、そのエリア内で予定していた完戸さんの会社の仕事はすべてキャンセルになりました。会社として大きな損害だったといいます。しかし、4月以降、通信設備の仕事や地震で被害のあった工場の電気設備復旧工事、さらには仮設住宅の設備工事など、「人手が足りないほど」と完戸さんが語るほど、南相馬の建設業関連は忙しい状況になっています。

「しかしこれがいつまで続くかだ。たぶん2年くらいは続くだろう。問題はその後だ。原発事故の影響で地域の企業の売上が減少すれば、次に来るのは設備投資の削減。必然的に我々の仕事も減っていくことになる」

 現在の好況は復興のための一時的なものだろうと完戸さんは言うのです。

「これから問題になるのは交通ルートの問題だろう。立入禁止の警戒区域があるから浜街道・国道6号線は使えない。常磐自動車道も原発の南までしか開通していない。いま南相馬に入ろうと思ったら、福島から飯舘村を越えるルートしかない状態だ。この不便さがいつまでも続いたら、南相馬がどうなるか」

 福島県の浜通り地方のちょうど中心部ということで栄えてきた南相馬市ですが、浜街道そのものが機能しなくなったせいで、これから先、企業などが南相馬を引き上げてしまう可能性を完戸さんは指摘するのです。

「働く場所がなくなれば人が減る。人が少なくれば、ますます出ていく企業が増えるかもしれない。そうならないためには、浪江町の辺りまでできているはずの常磐道を早く通してほしい。警戒区域内では道路にカバーを被せるとか、どんな方法でもいいから安全を確保して、道を通してほしい」

 原発事故は交通を断絶するという形でも、浜通り地方の生活・経済の大きな障害となっています。

つながらない道路。外へ出て行く企業

完戸さんご夫妻に話を聞いて2年。いまも国道6号線は分断されたままです。福島県沿岸部、浜通り地方の幹線道路だっただけでなく、仙台方面と関東を結ぶ「近道」としての利用も多かった国道6号線。そして全通に向けての工事が進んでいた常磐自動車道。

関東方面への道路や鉄道が分断された南相馬は、震災直後から続くアクセス困難な状態のまま。とくに福島市から飯舘村を経由して南相馬市にいたる道は、途中にスキーのジャンプ台のようにまっすぐな急坂や、山道のカーブが続くので、冬の通行は大変です。

企業の支店や営業所も南相馬から移転したところが少なくないそうです。放射能に加えて交通の不便さが、いまも町に大きなダメージを与え続けているのです。もちろん、交通の分断の原因もまた原発事故。

原発事故さえなければ。原発事故のせいで――。

元の記事でもお伝えしましたが、口にするしないは別として、多くの人たちがその言葉を胸の奥にとどめています。おそらく原発事故の影響を受けたすべての人の胸に、呑み込むことも吐き出すこともできない棘のかたまりみたいなその言葉はとどまっているのだと思います。

伝えたいこと

改めてこの文を掲載したり、アーカイブスとして紹介する理由は何か――。

それは、原発事故で影響を受けた人たち、人生が一転するような経験をし、それがいまも続いている方がたに対して、私たちは「甘え過ぎていないか」ということ。

困っている人たちを支援するというスタンスはちょっと違うように感じます。2年前の記事を読み、その「違和感」が何なのか、あらためて見つめ直したいと思うのです。

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文・構成●井上良太
取材協力・写真協力:NPO法人伊豆どろんこの会

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