漁港の施設の復旧はまだ一部にとどまっている。養殖に不可欠の作業場など、復興はまだまだ先だ。それでも、正月に船を一列に並べて係留する姿に、この浜の人たちのチームワークをひしひしと感じた。今度行く時は恋し浜の人たちと仲良くなりたいなと、いろいろ夢想するのであった。
白浜
明治の大津波でも昭和でも、最大の津波高を記録した白浜。湾口がとくに狭まっている訳でもなく、なぜこの場所が最大の津波高を繰り返すのか俄かには信じられない。
しかし、静かな入り江の陸側に広がる光景は、崩壊しかけた大型土嚢、津波でえぐられたままの港湾施設、かさ上げのために運び込まれた高い高い土砂の山。
今回の津波でも24メートルを超える綾里で最も高い津波を記録した、ひと気のない入り江の奥で年末年始休暇が終わればまた工事が始まる。(気象庁によると東日本大震災で最大の津波遡上高の記録も白浜地区がある綾里湾で、局地的に39.7mを計測しているらしい。この高さが気象庁記録としての日本で最大の津波とされる)
綾里駅の碑文に刻まれたことば
ふたたび綾里駅。
駅前には、東日本大震災での津波の事実と教訓を後世の人々に伝える「津波記憶石」が2013年3月に建立されていた。
津波記憶石には地域ごとの津波高、「天照御祖神社の石段上から七段目」など浸水域を示す具体的な記載、地域内の被害状況などが記されている。綾里小学校が設置した看板と同じ考え方によるものだ。
「記憶石」の中央には、津波研究家山下文男さんの言葉が深く刻まれている。
想起せよ、東日本大震災の惨事を
大地震があったら必ず津波が襲来すると思へ
一刻も早く高台に避難せよ
逃げたら絶対にもどるな
自分の命は、自分で守れ
津波てんでんこの教えを忘れるな
永々と後世に語り継ぐ教えとして、この碑を建立する
三陸鉄道綾里駅前「津波記憶石」碑文
小学校名義で立てられた津波からの避難意識を喚起する看板。工夫して繰り返されてきた小学校と地域の訓練。港や住宅など大きな被害があった今回の震災の後も、立ち上がろうとしている人々。そして、再起するからには津波の記憶を忘れることなく後世に受け継いで行こうという決意が込められた「記憶石」。
綾里の心を日本中の沿岸部に暮らす人たちに伝えたい。
刻まれた碑文を、声に出して読んでみよう。何度でも繰り返して。
写真と文●井上良太(撮影:2014年1月1日)
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