東日本大震災で町のほぼすべてを失った東松島市大曲浜。この浜で300年以上伝えられてきた獅子舞が2014年1月2日、市民たちの前で披露された。
鎮魂と未来への祈りを込めて獅子舞を舞ったのは、
もちろん、大曲浜獅子舞保存会の面々だ。
玉造神社
獅子舞を奉納し続けてきた玉造神社は津波による大きな被害を蒙ったが、
全国から支援を受けて昨年、地域の慰霊碑近くに新たに造営された。
平成26年の獅子舞は、この新造された玉造神社での新春祈祷から始まった。
今年の元旦は夜半から激しい雪模様の天気となった。たいして雪が積もっていないように見えるのは、強風で吹き飛ばされるからだ。
正月の獅子舞が神社への参拝から始められるたのは3年ぶりとなる。立っているだけで凍える吹きさらしだが、保存会の人々は引き締まった表情だった。
参拝とお祓いに続いて獅子舞が玉造神社へ奉納される。現在、人が住んでいる場所からはかなり離れているにも関わらず、多くの人々が集まった。
保存会会長の伊藤泰広さんは、「日頃の行いがいいから、こんなコンディションになったよ」と自嘲気味に話していたが、その逆だろう。この朝、直線距離で10キロも離れていない高速道路は前夜からの雪がびっちり付いていた。積雪の中での奉納にならなかったのは、きっと神様のご加護があったからに違いない。
東日本大震災大津波犠牲者慰霊碑
玉造神社への奉納獅子舞に引き続き、「東日本大震災大津波犠牲者慰霊碑」の前で獅子が舞われた。慰霊碑には震災で命を落とした浜の人たち1人ひとりの名前が刻まれている。昨年の夏この場所で、刻まれた名前を読み上げながら「この人がうちの母親。こっちはじいちゃん。この人は本家筋の人で」と保存会のメンバーが話してくれたことを思い出す。保存会のメンバーのほとんどが、今回の津波で大切な人を失っている。
「小さな町だからさ、何代も遡ればみんな親戚みたいな浜なんですよ」(伊藤会長)
そんな大曲浜の慰霊碑の前で新年の獅子舞が始まる。
強風を受けながら獅子が躍動する。
太鼓と笛も風に負けじと奏で上げる。響きが空に満ちていく。
獅子の躍りようが激しさを増していく。飛び上がるのではないかというくらいに。
目が、耳が、体全体が引き込まれていく。寒いのに寒くない。
高まっていく太鼓と笛の音に合わせ、獅子に舞い方が集まってくる。肩車をして、肩車の上にさらに乗って。
三段だ。ヤクラだ。
歓声が上がる。その声は「どっ」でもなく「おっ」でもなく、明らかにその場にいた人数以上の音量で、空気を震わせるような声だった。
大曲浜
「大曲浜はずっと昔には河口の中州で、矢本(陸側の集落)に行くのも船で渡っていたんだ。そこに住んでいた数軒の漁師から始まって、この浜に家が立ち並ぶようになっていった。あの震災の前まではね」
その大曲浜へ渡る橋の上。この場所は2年前の正月に獅子舞が復活した場所。その頃は何もなかった。玉造神社すらなかった。
「橋からは大曲浜が見渡せる。本当なら家がびっしり立ち並んでいて、こんな景色じゃなかったんだが」
建物がなくなった大曲浜を冬風が吹き抜けていく。獅子が飛ばされそうになるほど強い風。しかし、獅子は飛ばされたりしない。
特別な場所に集まった地元の人たち、そして大曲浜に眠るたくさんの魂に向けて獅子が躍る。一人ひとりの健康と息災を祈念して、獅子が人々をカプッと噛んで回る。
ひとしきり獅子の舞いを披露した後、太鼓と笛、そして獅子はトラックに乗り込んだ。
獅子たちを載せたトラックは橋から大曲浜の集落へ下りて、町なかの道をゆっくりゆっくり進んで行く。獅子舞パレードだ。
かつてそこに建っていた一軒一軒の門ごとに、獅子舞を披露してまわるかのように。
凍りついた道。建物の残骸が片付けられた住宅地には雪がへばりついている。
風が強い。しかし風の強さなど関係ない。
獅子舞パレードは進む。ゆっくりゆっくりと。もう誰も家を建てることができなくなった大曲浜を。家族と住んでいた家、友だちの家、こどもの頃の遊び場、ヤンチャ時代のたまり場、獅子舞で回った道。獅子舞で回る家々で呑まされて、もう立てないとへたり込みながら聞いた「次いくぞ」との先輩の声。すべてがあったこの場所。ふる里。
大曲浜ではもう暮らすことはできない。
だから大曲浜獅子舞保存会は震災から復活した。
運動公園仮設
大曲浜に住んでいた人たちの多くが、現在の生活の場としている矢本運動公園仮設。
大曲浜のパレードに続いて獅子舞が訪れたのは、大曲浜の人たちが暮らす場所だった。
巨大な仮設団地に呼び込み太鼓の音が響く。
獅子が登場する。
風はやみ、穏やかな日差しが陽だまりをつくる。
獅子舞が始まると人々が集まってくる。
「あけましておめでとうございます」
「今年もよろしく」
「あっ、おめでとー!」
「久しぶり―、元気だった―?」
仮設住宅から集まって来た人たちが口々に正月の挨拶を交わしている。獅子舞が人々をみんなの輪に誘っているかのようだ。コミュニティの要。獅子舞とは本来そういうものだったのかもしれない。
強く、軽やかで、かつ優雅な笛の音。何日間も耳から離れない妙なる音曲。
取り囲む人々から歓声が上がる。獅子舞は早くもやぐらに。
小さな子供の獅子舞ファン(2歳の男の子とか)と獅子の対面。ちびっこの手にも小さな獅子が握られている。
仮設住宅での獅子舞は「3倍増量?」
三段のやぐらが幾度も幾度も繰り返される。
空に向けて獅子が伸びあがるたびに大きな歓声が上がる。
震災後に新たに加わったカッコ隊も、慰霊碑前に引き続き華やかな舞いを元気に披露。
どっと笑い声があがった、ちびっこ獅子舞ファンと大曲浜獅子舞の共演。
元気で明るい声援が、新春の光とともにあふれていく。
いつの間にか獅子舞を二重三重に取り囲んだ人たちに、健康と息災を祈念しながら威勢のよい獅子の舞いが続く。
今年一年、健やかでありますように、「カプ!」
小さなお子さんにはやっぱり怖かったかな。
でも獅子舞はこうじゃなくっちゃ。
ハグならぬカプを獅子がプレゼントして回る間も、太鼓や笛はフル回転。「明日は筋肉痛かなあ」なんて声も聞こえてくる中、メンバーの表情の晴れやかなこと。
ついに2頭目も登場。会場はいっそう賑々しい雰囲気につつまれて。
保存会の伊藤会長は、獅子舞の様子を見詰めているのではなく、集まってくれた人たちの表情から人々の思いを汲みとろうとしているのだと思う(たぶん)。
獅子舞の後の伊藤会長のあいさつは、次の言葉で締めくくられた。
復興は道半ばですが、
みなさんが元気であれば、
復興は必ずなります。
道半ばが「半分」を意味するわけではないことは、誰もが知っている。
被災地の中では復興が大きく進んでいる東松島市でも、復興の度合いはプラスマイナスゼロからプラスを積み上げている状態だ。
でも、「復興はまだまだですが」なんて伊藤さんは言わない。なぜなら復興は人々の元気によってなされる事業だからだ。
再建された玉造神社への奉納から始まり、慰霊碑の前、大曲浜新橋の上、大曲浜のパレード、そして仮設住宅。いずれの場所でもレッドゾーンをぶちきる演舞が繰り広げられた。ひとつひとつの場所がクライマックスだった。
大曲浜獅子舞保存会は翌3日までのまる2日間、ふる里東松島の各所で演舞し続けた。
すべての場所で全身全霊を奉じるような獅子舞が繰り広げられたことだろう。それは、
「道半ば」の復興を、「みなさんの元気」で成し遂げるため。
魂をかけた生き様は、必ずひとの心に飛び火する。
写真と文●井上良太
大曲浜の獅子舞が国立劇場に!
最終更新:
sKenji
寒風の中、写真から躍動する獅子舞、賑やかなお囃子、華やかなカッコ隊の様子が伝わってきます。特に三段やぐら勇壮です!
大曲浜の獅子舞、見る人に元気を与えてくれますね!