揃いの法被に赤い鉢巻をぎゅっと締め上げた一団から、伊藤泰廣さんが進み出て挨拶する。
「私たちの舞いをご覧になって、どうぞ元気をお持ち帰りいただきたい。」
キリリとした笛の音に勇壮な太鼓の響き。
獅子舞がはじまる。
大曲浜獅子舞保存会(東松島市)。大曲浜の町は津波で壊滅した。
津波は多くの命を奪った。獅子舞保存会メンバーの中にも亡くなった方、
大切な人々を失った人が多数ある。保存会会長の伊藤さんも母親と、
経営する企業の仲間8人をなくした。
町は危険区域に指定され、もはや町に戻ることはできない。
江戸時代から300年以上の伝統を有し、市の無形民俗文化財にも指定されてきた大曲浜の獅子舞は、存亡の危機に直面した。
津波による被害はあまりにも大きかった。人も家も物も、多くが失われた。
獅子頭をはじめ、太鼓や笛、装束など獅子舞に使うものもほとんどが流された。
祭りが伝えられてきた大曲浜という町そのものが、人の住めない場所になっていた。
そんな中で若手たちが立ち上がった。新たに代表となった伊藤さんのもと結集した。
「現在、メンバーは47人。長老以外のほぼ40人は震災後に参加するようになった若手です。」
保存会では地元の小中学校で獅子舞指導を行ってきた。
お祭りというものは、こどもの頃こそ興味を持っても、思春期を迎え、成長していくにつれて、だんだん疎遠になりがちなものだ。
そんな「中学まではやっていた」という若者たちが震災を機に戻ってきた。
「町の名を残すため、獅子舞をやりたい」と。
別稿にも書いたが、伊藤さんは恐ろしいくらい澄んだ瞳をしている。初対面の時、心の底まで見透かされているような気持ちがしたほどだ。
2日間にわたって獅子舞公演に同行する中で、その理由が分かってきた。
「俺たちは獅子舞を見てもらうことで伝えるんです。」
伊藤さんは「伝える」という言葉を何度か語った。その、伝えたい思いの向こうには、おそらく彼自身が跳ね返したいと念じてきた震災後の現実があった。きれいごとばかりじゃない。人間の本性を見るような場面もたくさんあった。同じ被災者として許せないような言動も横行していた。
「その反対に、全国からたくさんの方々の支援をいただきました。これは、感謝しきれないほどのものでした。」
その一点に焦点を絞り込んだとき、獅子舞を続けるという判断以外なかった。
獅子舞は、300年伝わってきた地域の誇りを未来に伝えていくもの。
あの状況から立ち上がった自分たちの姿を見てもらうもの。
そして、疫病を払い、安寧と豊穣を祈念する獅子舞を舞うことで、お世話になった全国の人たちに恩返しをすること。
「自分たちは舞うことで伝えるだけです。」
伊藤さんはぐたぐた喋らない。舞いと態度と、ピンと伸びた背中。そして彼のまわりに集まってくる若手たちとのやり取りを見ているだけで、
そこにある、まっすぐで、大きなもの
が伝わってくる。
富士山本宮浅間大社での奉納獅子舞の後、別れ際に握手しながら伊藤さんが言った。例のあの眼差しで。
「つながりを、ありがとう。」
いえ、こちらこそ、などと支離滅裂に返すことしかできなかった。伊藤さんのこと、獅子舞保存会の人々のことを伝えていくには、まだまだ修行が必要だ。
私たち獅子舞保存会は未来永劫、この獅子舞が残されるよう活動しています。
彼らの未来にずっと付き合って行きたいと思った。
協力:NPO法人伊豆どろんこの会
(井上良太)
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