駅の南側では、メゾネットタイプのまだ新しいアパートが大変なことになっていた。
真ん中の写真では、二部屋分の階段が並んでいる。
こんな状態は建てている途中でも見られないだろう。
アパートのそばの民家の座敷には、軽トラックがほとんど無傷の状態で収まっていた。
もちろん、わざわざ座敷にクルマを上げる人などいないだろう。
こちらのお宅がいまある場所は…、
道路の上。
津波で流された家が道をふさぐ。
話では聞いていた。写真を見たことはあった。
現実に目にしたのは初めてだった。
しかもこの家は2階部分だけだ。
津波の被害を受けた多くの場所で起きたのと同じことが、ここでも起こっていた。
いま、富岡の町中で見られる光景と同様の光景が、
震災直後にはさまざまな場所で見られた。
直後の状況が2年以上過ぎたいま、ここにある。
この町には、もうひとつ重たいことがある。
それは、なぜ2年以上も震災直後の状態が続いているのかということ。
言うまでもなく、原発事故という現実だ。
軽トラックが座敷に入ってしまった民家には、招き猫が置かれていた。
招き猫がどちらの手を上げているかには意味があるそうだ。
左手を上げるのは「人を招く」招き猫。
「富岡町をその目で見てきてほしい。」
と言ったはままつ東北交流館の佐藤さんの言葉が、
ここまで歩いてきて、沁みた。
「自助・共助・公助」なんていう話以前に、
支援しなければならない町がここにあることは明らかだ。
震災は終わっていない。それどころか、まだ何も始まっていない。
招き猫が招いていた。
現実をもっとたくさんの人に見に来てほしいと。
●TEXT+PHOTO:井上良太
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