駅北の駐車場からホームを見る。
列車ではなく、クルマが線路に止まっているのが見える。
駅周辺にはたくさんのクルマが残されていた。
座布団を満載した状態で被災したのは、仕出し屋さんのクルマだろうか。
津波の前では誰のクルマだろうが、高級車だろうが、関係ないらしい。
駐車場から駅のホームに向かう。
「クルマは道路を走りましょう」
そんなくだらない言葉が頭の中をぐるぐる回る。
ここは、線路なのに…。
人間の決めたことなど、津波の前では意味をなさないということか。
駅舎があった場所の近くまで歩いて行って、
虎ロープが張られ、立ち入り禁止になっていたことに気づく。
駅の正面から、出直すことにした。
駅舎が消えた駅の向こうに、かすかに海が見える。
観光案内看板が押し倒されていた。
駅舎の中にあったものだろうか、事務椅子とテーブル。
銀に光るゲートは改札だった場所だろう。
もちろんオープンエアの改札だったわけではない。
駅から商店街を歩いてみた。
表通りから、
こんな景色が見えることがあるなんて、誰か想像したことがあっただろうか。
建物と建物の間にみどりの景色が見える。
みどりの景色の中に、被災した物が残されている。
空が青い。
変身ベルト。
商品だったはずの缶チューハイ。
無事だった酒瓶を誰かが集めて並べてくれていた。
久之浜の酒屋さん、てんぐやさんで聞いた話では、
いったん津波をかぶってしまったら、
たとえ傷ついたり、割れたりしていなくても、もはや商品にはならないそうだ。
缶のタブのところや、ビンのキャップのところに、細かい砂粒が付着して、
拭いても洗っても取れないからだ。
てんぐやさんが、被災した在庫をなんとか蘇らせることはできないかと奮闘したのは、
被災したその年の春から夏にかけて。
富岡町では、2年以上経ったいまも、まだ手つかず。
でも、もはや売り物にはならないことははっきりしている。
それは、津波の砂という問題ではなく、中身の問題として。
駅前に砂にまみれた缶詰が一個。
中身が膨張して、蓋が持ち上がっていた。
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