海辺の地をゆく「若林区荒浜」2013年4月18日

iRyota25

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2013年4月18日(震災から770日目)の宮城県仙台市若林区荒浜地区

ここは仙台市です。100万人以上の人々がくらす政令指定都市です。東北一の大都市です。震災から2年以上、769日もの月日が過ぎた現在の仙台市の光景です。

荒浜の住民たちは津波に対する意識が高かったといいます。
ここ荒浜小学校は海から600メートルほどしか離れていませんが、避難してきた人たちは全員無事だったそうです。

小学校としては珍しい4階建ての校舎。震災直後には建物や自動車の残骸がグラウンドに押し寄せていたそうです。この校舎のフェンスには一時避難所のボードのほかに、5月31日まで解体工事が行われるとの掲示も張り出されていました。

小学校のまわりにはこんな景色が広がっています。

左にはカーポートがあって、タイル張りの正面の段を上がれば玄関で…。


荒浜地区は、なにもなくなってしまったんです。

この地がこうむった大きな被害と残された人々の傷を少しでもいやすために、海の近くには観音様がたてられていました。

この町でもう一度暮らしたいという強い思いも刻まれています。

荒浜の再生を心から願う

移転を希望するものも荒浜に住み続けることを希望するものも「ふるさと荒浜が大好きです」
どちらも生きていける道を求めて探しております。

(右側のパネル)
暮らし、文化を守り育む再建のあり方を「荒浜の住民の手に」。
希望の黄色いハンカチ大作戦は仙台荒浜のふるさと再建を願う住民と再生を応援する支援者のとりくみであり、仙台荒浜を応援しながら日本全国のふるさと再生への気分を分かち合う希望のプロジェクトです。

この地は松林に野うさぎなどの小動物が生息し貞山堀はフナやコイが釣れ、初夏の砂浜にヒルガオが咲き、「日本のふるさと」の原風景と「くらし」がありました。

この地仙台荒浜から「くらし」をなくす事は歴史・文化を失うと同時に「ふるさと」を失う事でもあります。

仙台市沿岸部は災害危険区域に指定され、今まさに「くらし」を失いかけています。

我々荒浜住民の有志は「ふるさと」を守り、再び「くらし」をこの地仙台荒浜で再建をはかりたい一心で活動しております。

それでも、この地の被害の大きさには、今さらながら驚かされます。亡くなられた多くの人々には申し訳ありませんが、津波の大きな力に慄然とするばかりです。

津波でなぎ倒された松の木がガードレールにもつれています。

浜辺にはまだ数多くの被災物が残されています。
どれも津波が来るまではこの土地に暮らす人たちのすぐそばにあった物たちです。

原形をとどめていないものがあるかと思えば、
今すぐにも持ち主が取りに来そうなものもあります。
持ち主に取りに来てほしいものもあります。

津波は美しい砂浜を乗り越えて、人々のくらしがあった場所へ入ってきました。

松林をなぎ倒すほどの強さで。

そして町がなくなってしまったのです。

荒浜の海岸沿い。町があった場所には多くの人が訪れていました。他県ナンバーの車でやってきた老夫婦、ひとりでやってきた人、車に乗り合わせてきた団体さん。徒歩でやってきた人もいました。

どうしてみんなやって来るのでしょう。
建物が消え去って、空ばかりが大きくなった荒浜の町へ。

ここは「杜の都」仙台です。震災直後ではなく、2年を経過した光景です。

仙台駅からは直線距離で10キロメートルほどの若林区荒浜の姿です。

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●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)

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