「住むか?」「じゃあ住むわ」が出発点。いつの間にか愛される宿へ【島で働く】

tanoshimasan

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ライダーハウス「とまり木」の姉さん 今崎里美(いまざき さとみ)さん
[屋久島町小瀬田在住・滋賀県大津市出身]

屋久島空港から徒歩2分。県道から少しだけ、山側に進んだところにライダーハウス「とまり木」はある。愛嬌に溢れた“姉さん”こと、今崎里美さんが一人で切り盛りする安宿である。この宿の最大の特徴は、なんといっても“姉さん”の関西弁だろう。滋賀県大津市出身の姉さんから放たれる関西弁を聞けば、その場所が屋久島であることをつい忘れてしまいそうになる。中には「屋久島の方言って関西弁に近いんですね!」と、最後まで勘違いしたままのお客さんもいるほどだという。

島で宿を初めて18年。親しみやすさに溢れた“姉さん”にその経緯を伺った。

“姉さん”こと今崎里美さん、“姉さん”と呼ばれるのにはこだわりがあるという
“姉さん”こと今崎里美さん、“姉さん”と呼ばれるのにはこだわりがあるという

「住むんやったら、なんか仕事せなあかんな」

「とまり木」看板

「とまり木」看板

「屋久島は何回か遊びに行ってて、いつかは屋久島に住みたいなって思って・・・というのは、ウソやけど。(笑)」

と、おどける姉さん。当初はまったくそういった熱意は無かったらしく、屋久島に住むようになった経緯は「本当にたまたま」と言い切る。

1995年1月17日、関西地方を阪神大震災が襲った。当時、姉さんは旦那さんとともに震源地に近い神戸市に住んでいたという。幸い身体こそ無事だったが、自宅は無傷ではなかった。

「震災から4日後やな。仕方ないから、屋久島に遊びに行こっかぁって。友達が屋久島に遊びにおいでって言うてるし。」

そうして1か月ほど遊んでいると、島の人とも仲良くなったという。

「それで、お友達になった人が『住むか?』って言うから『あ、じゃあ』みたいな(笑)。だって最初は屋久島に住む気なんか全く無かったんやもん」

こうして縁を頼りに建物(現在の「とまり木」)を借りた。住む場所が決まれば、当然、仕事を探さなくてはならない。

「私はスーパーのレジ打ちでもなんでもするけど、ウチのん(旦那)に『アンタはどうするんや』って聞いてな」

すると旦那さんは、「トラックの運転手でもやろうか」と答えたそうだが、どうにもこうにも島で雇われる姿が想像できなかったという。夫婦の間で“就職”という選択肢はいつの間にか消えていた。

「・・・宿でもやろっかな」

旦那さんはぽつりとそう呟いた。

ライダーハウス「とまり木」の中、漫画が充実している
ライダーハウス「とまり木」の中、漫画が充実している

「ホンマに、何も考えてへんから」

建物の裏にはテントサイトがありキャンプも可能、1泊800円は貧乏旅行のミカタ

建物の裏にはテントサイトがありキャンプも可能、1泊800円は貧乏旅行のミカタ

屋久島に住むことになったのが「たまたま」なら、宿をやろうということになったのも「たまたま」だと笑う姉さん。最初はまったく宿なんて考えていなかったそうだが、若いころ、旅先で泊まった宿が良かったので、「ほんならやってみよか」となったらしい。

建物は決して高級な見た目ではなかった。

「これで民宿を名乗るのは申し訳ないし、ゲストハウスもしっくりこーへん。かと言って、他の宿と競合するつもりもなかったし、それ以前に長く続くとも思ってへんかった」

そこで、やはり若いころの旅でお世話になったという縁から、ライダーハウスにしたのだという。ライダーハウスと決まれば、高級なものを買い揃える必要もない。姉さんは指で円をつくり、

「コレ(お金)がないから、自分らでつくるっていうね」

と、笑う。

手づくりのベンチ

手づくりのベンチ

看板、ベッド、テーブル、館内の案内書き・・・などなど、「とまり木」にある多くの備品が、旦那さんと一緒に作った手づくりのものなのだ。

今でこそ最低限は揃ったが、当初はノウハウもなく、気が付くと、あれがない、これがないという状態。共用の水道もひとつしかなく、米を洗うにも顔を洗うにもひとつの蛇口を分け合っていたという。

「お客さんも、よぉこんなとこに泊まってくれたよね」

と姉さんは笑う。

旦那さんの手づくりしたベッドも、最初は「48個つくるわ」と意気込んでいたものが、やがて36個に変わり、24個に減り、結局18個になった。48個も作ってしまえば、おそらく建物の中に納まりきらなかっただろう。旅人の大きな荷物を置くスペースも確保できなかったはずだ。それよりなにより、18個つくるだけでも大変だった。

「ホンマに、何も考えてへんから」

しかし、その手づくりならではの味わい深さが、宿泊客の間では評判だ。

とまり木の玄関、左横には“手づくり”の3段ベッドがある
とまり木の玄関、左横には“手づくり”の3段ベッドがある

「あ、ちょっと出かけなアカンから行ってくるわ!」

ちらほら見かける阪神グッズは旦那さんのものらしい

ちらほら見かける阪神グッズは旦那さんのものらしい

それでも、いざオープンしてみると、それなりにやっていけた。当時の屋久島は世界自然遺産に選ばれたばかり。加えて、当時の屋久島には安い宿がなかったことも要因となった。「ダメなら関西に帰ろう」と割り切り、気楽に構えていたのが良かったのかもしれない。

「最初に来てくれたお客さんが、クリスマスや年末年始にも来てくれてな。辞めるにも辞められへんし、まぁまぁ食べていけるし」

あれよあれよと続いて18年が経過した。宿泊客数の合計は1万人を超え、この「とまり木」で出会って結婚したカップルも30組近くいるという。18年間、多くのお客さんに支えられてきた。「兄さん」と親しまれた旦那さんは2009年に他界されたが、姉さんは一人で切り盛りを続ける。

「たまたま」始めた気楽な宿が、いつの間にか辞められなくなってしまった。





―――ある程度、お話を伺っていると、

「あ、ちょっと出かけなアカンから行ってくるわ!」

姉さん。何でも、友人が屋久島に来ているらしく、そのお迎えと観光案内をするそうだ。

「ほな、悪いけど、ちょっと留守番頼むな!」

長期滞在客の青年にそう告げると、姉さんは車を走らせて行ってしまった。「最初はまったく屋久島に住むなんて考えていなかった」などと言いつつ、忙しそうなその姿はとても充実して見えた。

とまり木の入り口、手づくりの門柱が屋久島らしくて味わい深い
とまり木の入り口、手づくりの門柱が屋久島らしくて味わい深い

ライダーハウス「とまり木」

(男女別相部屋)素泊まり:2,000円、テントサイト:800円(/1泊)、アクセス:屋久島空港から徒歩3分、問い合わせ:0997-43-5069

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