ずっと地元で生きてきたから、 復興の現実を見つめる目はシビアだ。 それでも弱音を吐かない強さ(2012年1月21日)

iRyota25

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川里女久美さんとご両親の完戸富吉(ししど・とみよし)さん・幸子(ゆきこ)さんたちご家族の震災後を紹介する記事はこちらです。

 自分たち家族は浜松で避難生活。両親は南相馬。いますぐにでも戻りたいけれど、それができない
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 ずっと地元で生きてきたから、復興の現実を見つめる目はシビア。それでも弱音を吐かない強さ
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 この土地で電気関係の仕事をしているんだから放射能の知識はあった。でも、娘の切実な訴えに負けて、一度は静岡へ避難した
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 いまは仕事はあるけれど――。 完戸さんが危惧する数年先の南相馬(2012年1月21日)
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編集後記

   福島第1原発の事故で、農作物も果物も出荷できなくなってしまいましたが、2011年の実りは例年にないほど豊かだったとか。完戸家恒例の頂き物となっていた松茸もそうです。ただし今年は「どうします?」と知り合いの方から尋ねられました。これまでなら「松茸とって来たよ」「ありがとう」のやり取りだったのに。
完戸さんもちょっと迷ったそうですが、近所のお医者さんも食べたという話を聞いて「じゃあ食おう」。奥さんも「お父さんが食べるなら私も食べるわよ」。後で娘さん、息子さんにこっぴどく叱られたそうですが、「でも今年の松茸はうまかった」とニコリ。地物を食べることの是非はさておき、被災地で生きていく完戸さん夫妻の明るさを感じるエピソードでした。(2012年1月21日)

文・構成●井上良太
取材協力・写真協力:NPO法人伊豆どろんこの会

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