体験から学ぶ Part16 ~古墳時代の埴輪作り体験~

cha_chan

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先日、静岡県掛川市にある埋蔵文化財センターにて埴輪(はにわ)作り体験に参加してきました。

この企画は、郷土の歴史への理解促進と愛郷心の育成のために市が企画したイベントです。完成した埴輪は、現在復元工事中の掛川市和田岡(わだおか)地区にある吉岡大塚古墳に設置される予定です。

これから子供たちは学校で日本の歴史、世界の歴史を勉強していきますが、まずは身近な故郷の歴史に触れることで、歴史に興味を持つきっかけになればと思い、家族で体験会に参加することにしました。

 掛川埋蔵文化財センター - 観光サイト
www.city.kakegawa.shizuoka.jp  
 和田岡古墳群 - 観光サイト
www.city.kakegawa.shizuoka.jp  

埴輪が作られたのはいつ頃?

そもそも埴輪が作られた古墳時代とはいつの時代なのでしょうか。

日本史の年表を見てみると、古墳時代(3世紀の後半から7世紀頃まで)は弥生時代と飛鳥時代の間とされ、邪馬台国の卑弥呼が死んだ後、大和王権が誕生し仏教が日本に伝来した時代とされ、蘇我馬子が崇峻(すしゅん)天皇を殺害し聖徳太子が推古天皇の摂政となる前の時代だそうです。

今回のイベントで作成した埴輪を設置する吉岡大塚古墳は、4基の前方後円墳と16基の円墳、3基の方墳からなる和田岡古墳群の1つで5世紀前後に作られたものとみられています。

埴輪を作ろう!

埴輪というと、昔テレビで見た「はに丸くん」をイメージする人が多いと思いますが、あれは人の形をした人形埴輪で、今回のイベントで作成するのは円筒(えんとう)埴輪と呼ばれる筒状の埴輪になります。

ちなみに円筒埴輪は古墳に同心円状に並べられ、人が入れないように垣根のような役割をしたと考えられているようです。

まずは、粘土を棒状になるように伸ばして丸めます。
粘土と言えば粘土遊びが得意な子供の出番です。

次々に棒状の粘土が生産されました。

大量生産された棒状の粘土を円筒状に積み上げていきます。

このとき注意しないといけないのは、下記のポイント。

・粘土の自重で埴輪が潰れてしまわないよう、下の方は厚めに頑丈に作ること
・粘土には割れの原因となる空気ができるだけ入らないようにすること
・埴輪が高くなるほど円筒が外側に広がりやすいので、内側よりを意識して粘土を積み上げていくこと

この積み上げ作業は細心の注意を払う必要があるので、私と妻が担当です。
円筒埴輪の高さは40cm、制作時間は5時間にも上ります。最後の最後で崩壊したら私の精神も崩壊してしまいそうです・・・。子供たちにも何を言われるか分かりません。責任重大です。

今回のイベントに助っ人として参加してくださった埴輪作り職人さんの助けも借りながら、何度か崩壊の危機を乗り越えながら、無事40cmまで積み上がりました。

子供たちが粘土の棒を生産し、大人がそれを積み上げる。
埴輪職人さんは「この家族は完全に分業制が確立してる。」と感心していました。

古墳時代の人々もこのように分業して大量の埴輪を作ったのかもしれません。

最終的に円筒埴輪はラッパ状に形を整え、粘土の帯を貼り付けて飾りつけし、ヘラで穴を空けたあと名入れをして完成です!

古墳時代に思いを馳せる

世界遺産の仁徳天皇陵などの大型古墳が次々と出現した古墳時代の最盛期に、吉岡大塚古墳も築造されました。

天皇家や全国各地の豪族によって作られた古墳の数は、現在見つかっている物だけでも16万基もあります(その数はなんと全国のコンビニの約3倍!)。

そんな古墳時代も仏教の伝来により、土葬に変わって火葬が増えたこと、古墳作りに注がれた労働力・経済力が寺院建立に向けられたことにより衰退します。仏教の諸行無常の教えにあるとおり、その仏教が原因で衰退することになりました。

そんな古墳時代の歴史から、その時代の人々が何を考え巨大な古墳や埴輪を作ったのかを想像してみると、もっと歴史に興味を持てる気がします。

埴輪作り体験は5時間の長丁場でしたが、子供たちは最後まで集中して取り組んでいました。また日本のピラミッドとも言える古墳にも興味深々の様子でした。

今度は、2月頃に埴輪を野焼きで焼き締めて完成させる予定です!

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