【復興支援ツアー2018レポート】三陸鉄道沿線を巡り、現地の今にふれる旅 by akaheru

ここからは三陸鉄道北リアス線で南に向かいます。

ドラマ「あまちゃん」で、夏ばっばが大漁旗を振っているシーンの舞台です。残念ながらこの日は姿が見えませんでした。
朝より道した震災遺構の前にあった十府ヶ浦海岸駅の駅舎。子供たちの絵が駅をにぎやかに飾り立てます。

そんな感じで外を眺めているうちにあっという間に目的地の田老駅に到着です。到着に合わせてガイドさんが待っていてくれました。

あいさつを済ませ、さっそくガイド開始です。

この地は昭和8年の津波でも大きな被害を受けた地域で、当時住居の高台への移転が検討されたようですが移転先が見つからず、その結果防潮堤を建てることにしたとのことです。

防潮堤は3つ。第1から第3まであり、10mの高さを誇りましたが、田老を襲った津波の高さは17m以上。簡単に防潮堤を超えて街を破壊しました。

当時の人口は4,400人。そのうちの181人が犠牲になってしまったと言います。

なお、それらの防潮堤ですが、それぞれ強度が違ったと言います。

第1防潮堤は津波に耐えられる防潮堤を作るため専門家を雇い、約20年かけて作ったもので3つの中で最も強度の高いものでした。そのため、津波にも耐えたとのことです。逆に第2防潮堤は高潮対策の為約4年をかけて作られたとのことで第1防潮堤に比べて強度が弱く、今回の津波では持ちこたえることができなかったとのことです。

防潮堤ののぼり階段です。他のグループの方も見学来られていました。
万里の長城と言われた田老の防潮堤の説明が記載されています。
正面に見えるのがたろう観光ホテル。

今回お世話になったガイドさんはたろう観光ホテルのすぐ近くで旅館を運営されていたという方でした。

当時もこの地で地震に遭ったと言います。

地震後の防災無線では「3mの津波」といった放送だったのですが、その後停電により続報が流れなくなります。

そのため、3mまでの情報しか聞いてなかった多くの人は、防潮堤があるから大丈夫と高をくくり、逃げなかったため津波に巻き込まれてしまったとのことです。

そんな中ガイドさんは嫌な予感がしたため、逃げるべきなのではないかという考えに至り山をひたすら上って助かったとのことです。「自分は臆病だから助かった」とおっしゃっていました。


防潮堤でのお話のあと、たろう観光ホテル跡地に向かいます。

津波に破壊された内部の様子を見させていただきました。

このたろう観光ホテルの跡地の6階部分で、当時ホテルにいらっしゃった経営者の方が撮影した津波の映像を始め、地域の人が田老各地で撮られた映像を見せていただきました。大きな津波が見えてきたと思ったら、次の瞬間には町が一瞬で水没します。その様子を高台で見ている住民の後ろ姿が写っている映像がいくつかあったのですが、ただただ呆然とその光景を眺めています。どんな気持ちで自分たちの町が破壊されていく様子を見ていたのでしょうか。想像しただけで胸が痛みます。

いずれの映像もあまりにショッキングなものだったので子供達も怖がるのではないかと思ったのですが、映像がすごすぎて本当の出来事だとは理解できなかったようです。もう少し大人になった時、足を運ばなければと思いました。

映像終了後、ガイドさんが防潮堤の是非について話をしてくれました。

東日本大震災での被害の原因の一つは、立派な防潮堤があったこと。これがあったから多くの人が大丈夫と安心して逃げなかった。だから、もし防潮堤がなければ津波が近づいてくる様子を見ることができたし、なによりも3mの津波が来るという放送が入った段階でみんな逃げていたはず。

その一方この防潮堤のおかげで津波の侵入を遅らせ、被害地域を狭められたことも事実。

ただ、こんな美しい海のある町に住む人間としてはやはり壁はないほうがいいと思う。海を見ながら過ごしたい。現在新たな防潮堤を作っているけど400年や500年、1000年に一度の津波の防止の為に海が見えなくなってしまうのは悲しい。

人によって考え方は違うと思うけど、この田老で起こったことを皆さんに伝えることで、他の地域でも役立ててほしい。


そんなお話を伺った後、ガイドさん自身のことがどうしても気になったので思い切って聞いてみました。

ガイドさんが所有していた建物は全て津波で流されてしまったため、高台に引っ越したとのことです。

ただここに来るまでは大変な苦労をされていました。

津波からなんとか逃れた後の数日間は「助かった・・・」というほっとした気持ちでいたのですが、その数日後に、家も仕事も失っていることに気が付き、絶望的な気持ちになったと言います。

その後も心が折れそうになる中、周りの人を心配させてはいけないと必死に生き続けて今があると言います。「今も必死に生きています」という言葉に対して自分はなにも答えることができませんでした。

時間が少しあるからと連れて行っていただいた「山王岩」の景色。まさに絶景です。海が見られないというガイドさんの悲しむ気持ちも理解できます。

次の電車の時間に合わせてガイドさんが駅まで送り届けてくれました。そこでお礼を言いお別れです。体に気を付けて、これからも頑張ってほしいです。

この電車に乗って宮古へ向かいます。
鉄道の車体に書かれていました。色々な国から支援を頂いていることに感謝です。