七夕から2週間後、大石まつり組のメンバーによるバーベキューが公民館前で行われた。七夕が終わればもう夏も終わりと言われるが、今年はお盆を過ぎても真夏のような日が続いていた。昼前に始まり夜更けまでの長い長いバーベーキュー。お酒が回ったYさんがぼそっと呟いた。「オレ、早くこの町を出たいんだよな」
誰もYさんの言葉に異を唱えることはできない。それは震災に見舞われた町だから、というだけの理由ではない。
高校卒業後、町を出て暮らして来たYさんは、自らを風来坊だからと言う。偉丈夫で男前なのに独身なのは、ひと所に縛られることを嫌うからなのかもしれない。酒席では後輩たちから「早く結婚して下さい」と催促されるが、話を逸らしてばかりいる。
それもこの町。この町だけにとどまらない現実。Yさんはわたし自身の笛の師匠でもあるのだが、だからといって町を出たいという彼の言葉に反論することはできなかった。
公民館の玄関前のテントからは、かさ上げが進む町が見渡せた。「来年の七夕はどうなるんでしょうね」とSさんが言う。「いまオレたちがいるこの場所から、町の中心までが真っ平らになるんだな」とTさんが、これまで何度も話して来たことを繰り返す。「坂を登ることなく七夕を運行できるってわけか。どんな感じなんだろうね」と誰かが言う。「そりゃ楽になるさ」と別の誰か。そして誰も言葉を継げなくなる。
Yさんがぽつりと言った。「来年はきっと、七夕の山車が全部集結できるんだろうな」
2017年の追伸
1軒の建物すらない、まだ誰も住んでいないかさ上げの大地が夜空に照らされていた。
2017年、その場所に中心市街地という名のまったく新しい陸前高田の町がお目見えするということは誰もが知っている。しかし、この町がどうなるのかは誰にも分からない。
ひとつだけ確かなのは、祭りの場に集った面々、子どもたちも含めてこの場にいるすべての人たちが町をつくっていくということ。ここにいる人たち抜きには、どんなに美しい建物がつくらていったとしても、陸前高田は復活しないということ。
2017年、東日本大震災で被害を受けた東北沿岸部の多くの地域で、新しい市街地がいっせいに立ち上げられる予定になっている。真新しくて美しい建物、今後100年の津波に大しては大丈夫とのふれ込みの防災施設、オープニングでは東京から駆けつける華やかゲストたちによるステージ。
しかし、町は建物によって構成される構造物なのではなくて、人と人のつながりによって形づくられるものだ。あした、あさって、しあさって、数週間後、数カ月後、3年後、10年後……
高低差が感じにくくなっているであろう大石の坂道から、町を見下ろしながら、あすを語るのはどんな人たちなのだろうか。その頃には、大石の坂から松原の緑が再び見渡せるようになっているのだろうか。
2017年、私たちは未来につながる道の途中に立っている。
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