何の変哲もない田舎道の風景?

iRyota25

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いえいえこの世にありふれた場所なんてないのです。

南相馬市原町区大甕(おおみか)。ここは長い間ゲートがあった町。震災の翌年冬の写真には、通行規制のゲートと、詰めている機動隊員の姿が写っている。歩道のガードレールや路面など、周囲の状況は少し変わっているものの、釣具屋の看板から同じ場所だと分かる。

この場所の近くのコンビニエンスストアは、かつては北から事故原発方面に向かう最後の店だった。5年前立ち寄った時には、ちょうど朝の出勤時間の最終盤で、レジには長い行列ができていた。そして商品棚はまるっきりの空っぽだった。通路には空の段ボールやケースが転がっていた。

店に寄った時には駐車場もいっぱいだったが、商品がなくなるのと同時に駐車場も空っぽになった。その凄まじさに唖然とした。

「あそこはコンビニって雰囲気じゃないからね。朝のうちだけで何度か店内が空っぽになる。補充して空っぽになって、また補充して。あそこの店は毎朝戦場みたいだ」と南相馬の知人が教えてくれた。「その時間帯を見て来れてよかった」とも言っていた。

そのコンビニはいまもちゃんとあった。お客さんもそれなりにいた。しかし、かつてのような騒然とした雰囲気は微塵も感じられない、どこにでもありそうなコンビニのたたずまいだった。(あ、「ありふれた」なんてことを感じてしまっていた)

少なくとも外見上は平静を取り戻したように見える大甕のこの場所に、震災3年後、記念碑が建立されている。碑文には「輝 南相馬市大甕11行政区の決意」とある。

碑文はどちらかというとシンプルなものだが、隣に建てられた「建立の趣旨」にはこの土地に生きる人たちの思いが描き出されている。名文である。写真を拡大してぜひ読んでいただきたい。

南相馬市大甕。私にとってはかつてゲートがあった場所。平静を取り戻したようにすら見てしまった場所。つくり直された道路やガードレール、シンプルで美しい記念碑にさらっと目を流すだけで、見過ごしてしまっていること、見なかったことにしてしまっていたことの大きさに慄然とする。

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