海岸から溢れた津波が旅館の駐車場に迫る。一度は避難したのに、近所の方を心配して山を下りた女将に、「逃げろー!」高台に避難した人たちの絶叫のような声が響く。津波到来時の動画で日本中の人に知られることになった釜石市根浜海岸の料理宿「宝来館」。再建なった旅館の裏手、あの日、人々が津波を逃れた高台に、新しい避難路がつくられていた。
新しい避難路はあの日、動画が撮影された場所の近くで昔からの避難路と合流している。高台からの景色があの動画を彷彿させる。
津波被害から再オープンを遂げた宝来館
上へ上へと続く宝来館の津波避難路
宝来館の新しい避難路は平成25年度の「地域産間伐認証材を活用した津波避難歩道設置事業」としてつくられたものと、避難路入り口に表示されている。
旅館の裏山はかなりの急傾斜。避難路は折り返すように斜めに付けられているが、それでもかなりの急坂だ。にもかかわらず、足下に木道のように木の板が張られているので登りにくくはない。手すりも頑丈で頼もしいのでどんどん登って行ける。
避難路の折り返し地点には龍神様が祀られている。斜面の沢の上にテラスが設置され避難路は左に曲がって登っていくが、ここは雨や雪で濡れていたら少し歩きにくいかもしれない。
木道の登り坂が終わると、斜面をトラバースするような道に変わる。木漏れ日が輝くこの辺り、まるで登山道みたいに見えるが、これが震災時に人々が避難に使った避難路だ。土の急斜面を何度も折り返しながら避難路が高台のトラバース道につながっている。
新しい避難路に比べると、明らかに登りにくそうな道だった。
木立の中の歩きやすいほぼ水平な道を行くと、やがて「終点」という杭が現れる。終点の周辺は樹木に覆われて視界は悪いが、避難路を少し戻ったところからは、旅館の建物が見下ろせる。宝来館の屋上よりもずっと高い。
道はないものの、樹林の中の下草をかき分ければさらに高い所へも避難することはできそうだ。しかし、写真でも分かるように高度差はかなりある。以前の避難路と比べれば避難路の勾配は軽減されているものの、体の不自由な人を避難場所まで担ぎ上げるのは大変かもしれない。
震災の前からあった宝来館の避難路
「いつ頃からあったのかはよく分かりませんが、古い方の避難路は震災よりもずっと前からあったもので、あの日、みなさんが避難したところです。海にすぐ近くにある旅館ということで、以前から津波に備えようとの考えがあったのは間違いないと思います」と、フロントの女性が教えてくれた古い避難路は、鉄パイプとロープが手すりとして設置された急斜面。泥や草で登りにくい道だった。
あの日、女将さんは斜面の途中で津波に呑み込まれ、高台から見守っていた人たちはいったんは「覚悟」をしたのだという。女将さんは渦巻く津波の中、避難路の斜面にしがみ付いて高台へ助け出された。
宝来館はあの津波映像があまりに有名になってしまったため、津波に呑み込まれた旅館、津波から生還した女将のいる旅館というイメージが定着している。しかし、津波で人々の命を失い、施設を破壊されたのと同じく、再建までの日々も大変なものだったと聞く。そのあたりの事情は、震災後の女将さんの日々を取材したテレビ番組などで知ることができるばかりだが、宝来館の前に設置された鎮魂の鐘、そして道路向かいに建てられた津波石碑、さらに再建された宝来館そのものにもまた、津波と津波後今日までの時間と思いが宿っているように感じる。
ともかく上へ上へ逃げよ。
でんでんこで逃げよ。
自分を助けよ。
この地まで、津波が来たことを
そして、裏山に逃げ
多くの人が助かったことを
後世に伝えてほしい。
二千十一 津波の石碑
2011年の津波より以前に付けられていた裏山の避難路。鉄パイプやロープが張られたあの避難路があったからこそ、宝来館は苦しみを生き延びることができた。
明治のそして昭和の三陸地震津波の教訓が生かされなかったという悔恨の情が東北沿岸に数多く残される中にあって、いまや草付きの斜面のように見える旧・避難路は「伝えることができる」ことの証のようにも思える。
根浜の風景が戻るまで宝来館はずっとここに
宝来館の女将・岩崎昭子さんはホームページの「女将の想い」の中で、白砂青松100選にも選ばれるほど美しかった根浜海岸を偲ぶ。かつてのその姿をまるでおとぎ話のように感じるときもあると語っている。
涙も喜びもいろいろな想いがすべて、根浜の風景の中にあります。震災前の根浜海岸は、幅200m、長さ2㎞の砂浜がある白砂青松100選にも選ばれるほど美しい海岸でした。夏にはたくさんのお客様が海水浴を楽しんでいらっしゃいました。
今思えば「そんな時があったんだなぁ…」とまるでおとぎ話のような感じがします。 震災前の根浜にすぐには戻れません。でも、根浜の風景は必ず戻ると信じて、私たちはここにいます。あの美しい風景をもう一度皆さまに見ていただきたい…時間はかかりますが、根浜の風景が戻るまで宝来館はずっとここに在り続けます。
根浜海岸の松林の向こうには、いまでも白砂青松の美しい浜辺が広がっているのではないかと、初めて訪れた人でさえそう思ってしまう。しかし現実には津波によって白浜はほとんど失われ、浜辺だった場所にはコンクリートの遊歩道が白く無表情に光るばかりだ。
失われたものは大きい。それでも、いやそれだからこそ失われなかったものの大きさが胸に迫る。もう一度、女将さんの言葉を引用させていただこう。
三陸の魅力は美しい風景なのだと思っていましたが、最大の魅力は震災にあっても釜石に、三陸に、住み続けている人たちがいるということなのだと感じています。ぜひ、住んでいる人たちに会いにいらしてください。
宝来館
宝来館はラグビーWCのスタジアムが建設される釜石市鵜住居からクルマで10分ほど。美味しい料理と松原と、津波の記憶、避難路、そしてこの土地で生き続ける人の魅力を見つけにきてほしい。
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