女川駅前のテナント型商店街『シーパルピア女川』には石巻市の段ボール加工会社今野梱包さんが仕事の合間に6人がかりで半年かかって作りあげたという『ダンボルギーニ』がありました。東北復興を願って作られたものです。
ちなみに重さ100キロと書かれたダンボルギーニ。店員さんがいうには実際には60キロくらいらしいです。60キロって表示していたときは、じゃあ持ちあげてみようといたづらする人も多かったらしく、100キロってことにしているらしいです。効果大と言っていました。(これは内緒のはなしですよ^^;)
4日目: 女川~石巻~仙台~三島
いよいよ最終日。この日は石巻でレンタカーを借りました。
最初に向かったのは日和山公園。高台になっているこの公園をめざして震災時雪が降る中、多くの方がこの階段を登りました。
どんな気持ちで登ったんでしょうか。わたしも状況はまったく違いますが、津波を想定してこの階段を登ってみました。
左の階段を登りきったところが頂上ではありません。
左の階段が99段。登りきると少し右に向かってさらに45段の階段があります。この45段の階段を登るとようやく右の写真の一番下にたどり着きます。そこから87段登るとようやく鳥居がある頂上です。一番上までは231段もありました。
最後の87段は1段1段とても段差があり、最後は足がガクガクでした。
当時体調が万全だった人ばかりではないと思います。高齢者もいたでしょう。歩けない人をおぶって階段を登った人もいたと思います。みんなで「がんばれ、がんがれ」と声を掛け合って登ったと聞きました。
日和山公園をあとにして次に向かったのは『がんばろう石巻』の看板。
まわり一帯工事中で、なかなか目的地に行けませんでした。変わったのは看板の周辺だけでなく看板の敷地横にも『南浜つなぐ館』という建物が建ちました。
3Dプリンターで作られた模型は震災前の街並みです。多くの家が建っていたことがわかります。
そしてこの南浜つなぐ館で一番目をひいたのは震災前の航空写真。写真に貼られている付箋は被災された方々が書いたメッセージです。
「部屋から家の景色がキレイでした」「散歩コースでした」「←家。とても懐かしいです」「もっと住みたかった」「ロリアンのチーズケーキ最高でした!!」...付箋を1つ1つ読むとその方の思いがひしひしと伝わってきます。
中には、「女房どこ?」というメッセージも。震災は多くの方の大切なものを一気に奪い去りました。
このあと、大川小学校をまわり雄勝に向かいました。
雄勝ローズファクトリーガーデン(上写真・右下)。「花と緑の力」で復興するためにこの地で被災された方が自ら立ち上げたそうです。「うちは無料だから自由に見て行ってね」とオーナーらしき人は私たちに笑顔で話しかけてくれました。寒い時期なので花はほとんど咲いていませんでしたが、バラだけでなく本当に多くの花が植えられています。きれいな花が咲くころまた、ここを訪れたいと思います。
そして雄勝の復興商店街『おがつ店こ屋街(たなこやがい)』。
ここを訪れるのも今回で3回目。いつ来ても、お店の方は本当によくしてくれます。しかし私たち以外、お客さんはほとんど見当たりませんでした。
雄勝は今回見てまわった中でも、特にさみしさを感じました。とにかく周りを見渡しても人がいません。わたしが見た感じですが、復興もまったく進んでいないように感じました。
これが被災地の現状なのかもしれません。
漁業と硯のまち雄勝。ここにも雄勝硯のお店(生産販売協同組合)があります。お店で知り合ったNさんという女性にとても貴重な話を聞くことができました。
その話はまた後日書きたいと思います。
最後に...
この旅行を通して、いろいろな人に出会い、いろいろなことを学びました。
わたしは震災が起きたとき、なにが正解というのはないと思っています。
マニュアルどおり行動すれば助かるというものではないと思います。
その場その場で冷静に判断して行動できるかどうかが一番大事なのかなと思います。
リアスアーク美術館に書かれていた言葉で印象に残っているものの1つに
『運悪く、運良く、偶然...という考えを捨てなければ命を守ることはできない』ということばが書かれていました。
今回の旅行で掲げた『何があっても生き抜く力を身につける』というテーマの答えは、旅行を終えて『心の備え、物の備え、身体の備え、知識の備えがあれば絶対に生き抜くことができる』という自分なりの答えがでました。
そして『自分の命は自分で守るんだ』という強い気持ちこそが大事だと感じました。
―――――――――――――――――――――宿泊費 84,632
交通費 88,330 ※レンタカー代含む
食事代 16,824
雑費・その他 5,902
おみやげ 34,655
――――――――――――――――――――― 230,343
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