タワーも解体が進む。いずれ跡形もなくなってしまうのか。
稼働している時には見学ツアーに参加しないかぎり覗き見ることもできなかった、ベルトコンベアの内部が見える。消えゆく存在なのに、内側が見えるということに異様に心揺さぶられてしまった。
ブームの可動部分。まるでプラットフォームみたい。おそらく実際にプラットフォームと呼ばれていたのだろうと想像した。
気仙川を渡った南側から見たベルトコンベアの一部「希望のかけ橋」。この橋の工事が始まった頃には、津波で流された気仙大橋の架け替えかと勘違いしたほど、立派なしっかりした橋だった。手前には震災遺構として残されることが決まった気仙中学校の校舎も見える。
希望のかけ橋の北詰は、ベルトコンベアが外されている。もうこの橋が町づくりのための土を運ぶことはない。
さらに目を東に転ずると、工事現場とかさ上げされた山、ベルトコンベアのプラットフォーム、そして一本松が見える。
こどもたちの応募で名前が決まったという希望のかけ橋や一本松が見える景色が複雑な思いをかき立てる。かさ上げ工事を見ないようで、それでもしっかり見つめていた地元の友人はこう言った。
工事がどんなふうに進むのかまったく分からない。山車を引っ張っていける道があるのかどうかも分からない。まあ祭り自体、やれるかも分からない。でもね、俺たちはやるよ。来年も再来年もずっとね。あの最初の年からずっと続けてきたんだから。つなげていくためにね。そう思ってる。そういうもんなんです。
これから先も町はどんどん変わっていく。でも変わらないものもある。変わらないものがある中で、それを支えるために動いてきたコンビナートが消えていく。
寂しさもあるが、別の思い、もっと大きな思いがつながっていく。
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