「ちょっと寂しさも」陸前高田のコンベア解体

iRyota25

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ずっとその場所にあるような気持ちでいた。風が吹けば顔面に細かい砂粒がぶつかってくるし、かつての町なかだった場所に1時間もいれば、クルマはサンドイエローに塗装されたかのように汚れる。髪の毛はホコリでぼさぼさになるし、心なしか鼻毛まで少し伸びるような気がする。それでも、かさ上げ工事が進む陸前高田の町の象徴だった。

ベルトコンベア、というより地元の友人たちが呼んでいた「コンビナート」という言葉の方がしっくりくる。夜の陸前高田の町は、総延長3kmという長大なベルトコンベアに灯されたライトが町を彩っていた。とくに夜の景色はコンビナートという言葉のイメージそのものだった。何もなくなってしまった町。この広大なエリアに、夜間にいったい何人くらいの人がいるのだろうかと思ってしまうような寂寞とした、ほぼ無人の町。しかしベルトコンベアの灯りは、ここが町だったということだけではなく、ここに新しい町ができることを示してくれる存在だった。

町をまるごと呑み込むような大津波の被害地をかさ上げするために、2014年3月から動き続けてきたベルトコンベアが2015年秋に稼働終了。解体工事が始まると聞いた。聞いた話では年内はライトアップは続けられるとか、ベルトコンベアの一部を構成する気仙川に掛けられた「希望のかけ橋」はしばらく残されるといった話だった。

なくなる前に見に行きたい。あの砂嵐のような風を感じることはできなくても。

2015年末、思い立って3カ月目に訪れて見たものは、かさ上げ工事現場に長く長く続くベルトコンベアではなく、ところどころ、具体的には国道をまたぐような撤去工事に手間のかかりそうな場所だけに断片的に残されたものだった。

今では道路を跨ぐ不思議な構造物。いやむしろ、この構造物そのものに復興に役立つ何かの役割があるのではないかとすら思えるくらいだが、これは復興事業にまつわる産業遺構。この構造物の左右にはベルトコンベアが設けられた橋梁構造物が延々と続いていたのだが、「続き」なしに残された断片は解体を待つだけの遺構だ。

稼働していた頃のコンビナートの姿、リンクしたアルバムページでご覧ください。

 陸前高田のベルトコンベアは「希望のかけ橋」
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 まるで工場夜景。陸前高田「夜のコンビナート」
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運転が終了したのは2015年の9月。解体が始まったのは10月。もう少しくらいは残っているかと思っていたのだが。

かさ上げされた山の向こうにあるのは「もしや津波避難タワーでは」そう直感した。工事が続く現場には、地震発生時の避難経路の看板があちこちに設置されていたし、2011年3月の津波の浸水域の外まで逃げるのは、距離的にもそうとう大変だと思っていたからだ。

 津波被災地ではたらく「現場の掟」
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しかしそうではなかった。津波避難タワーのように見えるのは、かつてベルトコンベアの先端部分、土を落とす可動式ブームのベースだったヤグラ。

解体工事が始まったことを伝えるニュースの中で、陸前高田市の戸羽太市長が「複雑な思い」と言っていたのがよく分かる気がした。

ダンプカーなら9年はかかるとされた工事を2年で終わらせるために建設されたベルトコンベア。それが1年半で任務を終了して解体される。たった1年半。だが、その1年半の間に町の姿は大きく変わった。かつてあった町の痕跡すらをも埋め尽くし、高くて広大な土の山が広がる景色になった。それは寂しいことである。でもそれは、新しい町が造られていくことを示すものでもあった。

「どれくらい高くなったかなんて、あんまり意識して見てはないけどね」。地元の知り合いはかさ上げ工事の進展についてドライな感じでそう言っていた。でも同じ人がこうも言う。「かさ上げでこの通りも通れなくなった。あっちの通りもだ。次の年の祭りをどこでやるか、やれるのかって思うと、そりゃ気になる。迂回路だらけの町なかを通るたびにそう思って、ついついぐるぐる見て回ってしまう」

原風景の痕跡まで消していく施設。想像できないほどのスピードで町を変えていくこの施設の力を前に、町の人たちはとてもベルトコンベアなんて言葉を宛てがうことなどできずにコンビナートと呼んでいたのかもしれない。

だけど同じく、「夜のコンビナートはきれいだよ。ビューポイントはね……」と教えてもくれる。

戸羽市長のいう「複雑な思い」という言葉は、まさに複雑な思い、そのものだった。

消えていく陸前高田のコンビナート。その名残の姿、ちょっと枚数は多いけど写真でご覧ください。

一本松茶屋の駐車場そばに残っているベルトコンベア。遺構を撮影する人も少なくなかった。

一本松茶屋から海の方(一本松の方)へ横断歩道を渡った先のベルトコンベア。土の落とし口のブームも残っている。

振り返ると、ベルトコンベアの運転が終わっても、国道を走るクルマはいまもまだサンドイエローに染まっている。

もう一度海の方を振り返る。あらためてベルトコンベアの巨大さを思う。

左右に扇型に旋回する可動式ブームの土の落とし口。やはり大きい。おそらく人工衛星からでも見えるくらいの巨大構造物だったことだろう。

そんな巨大構造物が解体され、その一部が地面に横倒しになっている。

こちらはブームのベースとなっていたタワー。

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