『稲むらの火』と甲子園のおにぎりマネージャー

iRyota25

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とくに、「資料室 【稲むらの火】~安政地震津波の顛末~」には、物語の元になった史実が詳しく紹介されている。そして、ページのリードにはこんな言葉が記されているわけだ。

かつての国語教科書や、ラフカディオ・ハーンの小説でも伝えられなかった本当の「稲むらの火」です。
濱口梧陵の偉業「百世の安堵を図れ」はこの実話の中に生きています。

津波防災教育センター 稲むらの火の館 資料室 【稲むらの火】〜安政地震津波の顛末〜

この時広村を襲った津波は、安政東海地震の翌日の夕方に発生した安政南海地震によるもので、村人は以前から地震のたびに津波を恐れて神社への避難を繰り返していた。梧陵はこの時の大津波に彼自身巻き込まれながら、村人に高台の神社への避難を呼びかけた。あたりが暗くなる中で、高い場所の目印にするために稲束に火をつけた。津波の後に梧陵は防波堤建設を呼びかけ、4年の年月の末に広村堤防を完成させた。

 津波防災教育センター 稲むらの火の館 資料室 【稲むらの火】〜安政地震津波の顛末〜
www.town.hirogawa.wakayama.jp  

濱口梧陵という人物はヤマサ醤油の7代濱口儀兵衛その人である。幕末明治の豪商として、私塾を開設したり、火災にあった江戸の種痘所(唯一の西洋医学所で東大医学部の基)の再建に700両の大金を寄付するなど社会貢献の意識の強い卓越した人物だったと伝えられる。勝海舟や福沢諭吉とも親交があったらしい。明治政府では大久保利通の命で初代駅逓頭(以前の郵政大臣に相当)に就任し、郵便事業の整備に活躍。国会開設建言の惣代、民主主義を広める活動など世のため人のための活動を幅広く行った。梧陵の最期がまたすごい。彼は長年の夢であった米国視察の途中、ニューヨークで帰らぬ人となったのだ。

濱口梧陵について調べると、史実の方がはるかに興味深いと感じるのは私だけではあるまい。「百世の安堵を図れ」。それは自己犠牲の物語ではなく、社会貢献の信念だ。その精神こそが本当の稲むらの火なのだ。正直なところ、内閣府のホームページにわざわざ『稲むらの火』が取り上げれた理由がわからない。防災の名目で軍国主義時代の「強制」を復活させられてはたまらない。

 教科書にものった「稲むらの火」 【ヤマサ醤油株式会社】
www.yamasa.com  

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