『同じ病気と闘う人たちに勇気や希望を与えたい』ベーチェット病と闘った1人の野球選手

doraemon

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『三重に野球の天才がいる』
少年時代、柴田章吾はそう言われていた。

野球を始めたのは小学校2年生。小学校6年で全国制覇、そして中学3年生時にはボーイズリーグ全日本選抜入りするほどの実力でした。

野球の天才とまで言われたその実力から全国の野球強豪校から多くの誘いがきます。そんな時でした。彼は原因不明のベーチェット病を発症します。

べーチェット病は厚生労働省の指定難病の一つで原因は不明とされ、全身に色々な症状が繰り返し現れ再発・寛解を繰り返す慢性疾患で自己免疫疾患の一つとされています。

病気のために野球推薦の話はほとんどなくなります。医師からも強豪校での野球は無理と宣告されます。それでも夢を諦めきれず、彼は熱心に入学を勧めてくれた愛工大名電に入学します。

愛工大名電の倉野監督に『素質はこの学校からプロに入ったOB以上』と言わしめた逸材です。

柴田章吾*密着900日

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入学してからも彼は病気のため他の部員たちと同じ練習はできず辛い日々を送ります。

それでも彼は腐らず病気と闘いながら自分ができる練習をこなします。
彼は病気でもやればできるということを証明したいと言います。

余計な心配をかけたくないという思い、同情されたくないという思いから病名も仲間に隠していました。

最後の大会前、仲間に病気のことを話します。初めて知った仲間たちは涙が止まらなかったといいます。

そして高校最後の夏に彼は甲子園のマウンドに立ちます。
甲子園で勝つことはできませんでしたが、夢の舞台に立ち、やればできるということを彼は証明します。

その後、明治大学に進学してからも、病気と闘いながらプレーし続け、ついに2011年育成ドラフト3位でジャイアンツの指名を受けます。

2011年育成ドラフト3位でジャイアンツへ入団
2011年育成ドラフト3位でジャイアンツへ入団

『同じ病気と闘う人たちに勇気や希望を与えたい』

『同じ病気と闘う人たちに勇気や希望を与えたい』彼がプロ入団時に言った言葉です。

同じ育成選手からジャイアンツの不動のセットアッパーまで上り詰めた山口鉄也投手を目標に野球を続けます。2013年にはイースタンリーグで山口投手と同じセットアッパーとして27試合に登板、2014年は支配下選手登録も期待されましたが、不運もあり夢だった1軍のマウンドに上がることは叶いませんでした。

そして昨年のシーズンオフ、戦力外通告を受けジャイアンツを去りました。

『1軍のマウンド』という夢は叶いませんでしたが、『同じ病気で闘っている人、病と闘っている多くの人たちに勇気を与えたい』と言った彼の言葉は多くの人たちの心に届いたのではないでしょうか。

どんな形でも野球界に恩返ししたい。そう言った彼の第2の人生は始まったばかり。
第2の人生ではきっと大きな花を咲かせてくれると私は思います。

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