【大震災を自分事に】3月12日の壁新聞(石巻日日新聞)

iRyota25

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午後3時前に発生した巨大地震は巨大な津波を引き起こし、それは3時を過ぎた頃から東北地方の太平洋沿岸部を次々と呑み込んでいきました。津波は1回押し寄せただけでなく、多くの場所で最も高い津波高を記録した2波、3波、4波とその後も押し寄せては引き、引いては押し寄せを続け、3月11日から12日にかけての深夜遅くまで猛威を振るい続けます。

津波に襲われた場所で生き延びた人たちは、停電で真っ暗で、しかも雪まで降る中を、家族や知り合いたちの安否を痛烈に思いながら一夜を過ごしたのです。

翌日、石巻市と東松島市、女川町をエリアとする地域紙「石巻日日新聞」が、人の往来がありそうな場所、たとえば被災したコンビニなどに壁新聞を貼り出します。

石巻日日新聞の壁新聞(号外)3月12日号
石巻日日新聞の壁新聞(号外)3月12日号

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同じ日の朝、情報がほとんど途絶し、ラジオからは「女川町は全滅」などという放送が流される中、極限状態というより他ない、切迫した状況が現出していました。自分自身が津波によって深刻なダメージを受けたにも関わらず、たくさんの人々が家族や友人、恋人の実を案じて、まだ水も引いていない、火災の焔もおさまらない町を彷徨していました。石巻市では市の中心部は水没したままで、黒い水の中を歩いて渉ることなど危険きわまりないことでした。大規模な余震によって、さらに津波が押し寄せてくる危険もありました。それでも、人々は歩き、身寄りの安否を確かめようと、水没した町へと歩いていました。

安否の確認? 違います。もしも生死の境に状況にあるのなら、とにかく早く行って助けたい。その一心です。

浸水して動かなくなった輪転機に装着されていたロール紙を切って、石巻日日新聞の近江社長はじめ社員の人々が、フェルトペンを手に自らの字で記したのが、後に有名になる「壁新聞」の最初の号でした。

日本最大級の地震・大津波
東北地方太平洋沖地震
M8.8(M9.0と修正されています)、最大震度7
石巻地方6強
南浜町、門脇町倒壊流出

石巻日日新聞「壁新聞」3月12日

後に石巻日日新聞社長の近江弘一社長に尋ねたところ、この手書き壁新聞の第1号で一番伝えたかったのは次の一事だったということです。

正確な情報で行動を!

石巻日日新聞「壁新聞」3月12日

津波を会社で経験した近江さんは、新鋭の四色輪転機などの設備が水没していくのを呆然と見つめるしかなかった一方、新聞社本社から高台へ走り、そこで避難する多くの人や、町の中心部が津波によって通行不能になっていることを彼自身の目と足で実際に目の当たりにしてきたそうです。

被害に遭い、命からがら生き延びて、しかし命に代えられない大切な人たちが今、この時、どうしているのかも分からない。逃げ延びた自分たちにしても、いつ救援が来るのかすらわからない。明日の命がどうなるのかがわからない。そんな深い深い不安の中にあって、地域の新聞社としてやらねばならないことがある。それなのに新聞を印刷を動かせない。いわばどうにもならない状況の中で、発行されたのが手書きの壁新聞だったのです。それは、伝える人間としての本分は何かという考えから、ストレートに出てきた行動だったのです。

3月12日。

巨大津波に襲われ、町が崩壊し、しかしすぐに夜の帳に包まれた中、沿岸部で発生した津波火災のヘリコプター映像ばかりが流される中、石巻日日新聞の真っ暗な社屋の中で、練りに練られた新聞がこれだったのです。

正確な情報で行動を!

石巻日日新聞「壁新聞」3月12日

平常時であれば当たり前に思えるかもしれない言葉を、赤ペンで大書きせねばならない状況が、3月12日、震災の明くる次の日の現実だったのです。

絆の駅「石巻ニューゼ」

 石巻ニューゼ | 「石巻日日新聞の壁新聞」と、石巻地域の歴史が刻まれたニュースの博物館
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 震災当日の夜、真っ暗な新聞社で近江さんが考え抜いた「やるべきこと」
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