繰り返される言葉「被災地の内と外」

iRyota25

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原子力発電所の爆発音が南相馬市まで響き渡ったあの日、放射能から逃れるためワゴン車で関東地方を目指したという福島出身の知人から、こんな話を聞いた。

白河市を過ぎて栃木県に入ったとたん、あたりがぱっと明るくなった。お店にも民家にも明かりがついていて、街灯や看板まで灯されていた。何ていうか賑わいのような雰囲気すら感じたんです。福島県内の道路は真っ暗だったのに…。

ここが内側と外側の境界線なのだと知ってショックだったと彼女は言った。小さな子供を守るため、原発事故被災地から逃れてきた自分たちは、この境界線を越えて故郷を離れなければならないのだと。しかし、栃木県でもずいぶん線量が高かったことを後になって知った時には、別の意味で落ち込んだ。

栃木でコンビニに寄った時「大変ですね」と声を掛けられたのだけど、県の境を越えたからといって状況が劇的に変わるはずがない。もしも小さなお子さんがいるのなら、あの人だって避難された方がよかったかもしれないのに。

「本当は内側も外側もなかった。境界なんてなかったのですね」

そんな話をしたのを思い出す。

放射性物質は県境など関係なく広がっていった。放射性プルームとなって遠く離れた土地にまで飛んで行った。原発事故に関しては、県境で区切ることなどできない。

しかし、被災地の内と外を区切ることができないのは原発事故の影響のことだけではないだろう。

被災地と被災していない場所。私たちはすぐに切り分けて考えたがる。日常的な関心から遠ざけることで、気持ちが楽になることを知っている。

しかし被災地には内も外もない。境界線はない。地面も人の気持ちも友情も、物流も金融もみんなつながっている。体のどこかを怪我した時に、傷ついたところだけの問題ではないのと同様に、東北地方太平洋沖地震で被害を受けたのは日本という身体の一部。傷ついた多くの人たちは私たちと血を分けた仲間、遠い親戚。そんな当たり前の事を忘れないでいたいと思う。

明日は3月11日だ。

最終更新:

コメント(2

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  • I

    iRyota25

    女川ではイサザ漁が最盛期だそうですが、イサザは次の年も大変だったとAさんが言ってました。美味しい地の物を食べる時に、安全かどうか考えなければならないなんて辛いです。生産者はもっともっとキツイはず。

  • O

    onagawa986

    あの日あのとき、放射能うんぬんは被災地に関係なかった。
    目の前の惨状を前に、セシウムうんぬんはどうでも良かった。
    その深刻さを感じ始めたのは、どれくらいたってからだったかな。
    思い出せない。