大堀相馬焼って知ってますか?

lingmu

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私の祖父は福島県の片田舎で生まれた人でした。もう20年以上前に亡くなりましたが、私はおじいちゃんが大好きで、ずいぶんと可愛がってもらいました。

福島で生まれた祖父は若くして上京、東京で暮らしていたようです。そんな時、同じく静岡から上京した祖母と知り合い、なぜか故郷福島ではなく、祖母の故郷である静岡で残りの人生を終えました。

静岡ではとても頑張って、地元のために尽くす毎日でしたが、その言葉から福島の訛りが抜けることはなく、死ぬまで福島を感じさせる人でした。今でも福島の訛りを聞くと、私は懐かしくてしょうがなくなります。

そしてもう一つ、祖父が福島生まれであることを感じさせるものがありました。
それは、祖父が生涯使い続けた「大堀相馬焼」の湯呑。

二重焼きになっており、熱い飲み物を入れても持った時に熱くないというすぐれもので、青ひびというひびの模様と、走り駒と呼ばれる疾走する馬のデザインが特徴です。武骨な重みのある湯呑を見るとき、私は祖父を思い出さずにいられません。
祖父は、割れては買い、欠けては買い、と、これ以外の湯呑を使ったことがありませんでした。

あの大震災から4年経ち、福島のことを思う時に浮かんだのはこの「大堀相馬焼」のことでした。WEBで検索してみると、ウィキペディアにこうありました。

「大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)は、福島県浜通り北部の浪江町大堀で焼かれる陶器である」

あの震災で、全国民に知られることになった「浪江町」。そこが大堀相馬焼の故郷だということを私も初めて知りました。ウィキペディアはさらに続きます。

「2011年3月の福島第一原子力発電所事故により、福島第一原発から10kmに位置していた大堀は強制退去を余儀なくされ、協同組合もろとも二本松の小沢工業団地内に移転した」

大堀相馬焼の窯元が存続の危機にさらされていることは、本当にショックでした。しかしさらに調べてみると、窯元の皆さんは、なんとかこの二本松を初め、郡山市や福島市などで再建に向けて動き始めているとわかりました。

いくつかの窯元はHPも立ち上げ、陶芸教室やネット販売なども手がけているようです。また、斬新で現代的なデザインを取り入れて、制作に打ち込んでいる方々も出てきているようです。

けれども、窯元の皆さん自身、今なお避難生活を送っているというのが現実です。皆さんの安定した暮らしが成り立たなければ、大堀相馬焼の存続も難しくなってしまうのかもしれません。

だからこそ、1人でも多くの人に「大堀相馬焼」を知って欲しい、その良さを知って欲しいと思います。祖父が愛した大堀相馬焼が、この先存続していくことを願ってやみません。

最終更新:

コメント(2

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  • I

    iRyota25

    相双地方を代表する窯ですね。二本松にも郡山にも浪江町にも知り合いがいるので、いつか訪ねてみます。心ならずも故郷を離れることになっても、それでも焼き物を続ける人たちの気持ちが尊くてたまりません。B級グルメの「なみえ焼そば」にもその精神は受け継がれているみたいですね!

    • L

      lingmu

      コメントありがとうございます! 大変な思いをしながらも、伝統や文化をなんとか存続させようと頑張る人たちを応援せずにはいられませんよね。私もいつか窯元を訪ねてみたいと思っています。