陸前高田・大石の虎舞1
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今年の虎舞は陸前高田物産センターから。坂の上にある陸前高田市立第一中学校の臨時グラウンド(元々のグラウンドには仮設住宅が立ち並んでいます)の向かい、気仙地方の地酒として愛され続ける酔仙酒造があった場所、たくさんの民家が立ち並んでいた場所でもあります。いまでは物産センターとコンビニがあるくらい。周辺ではかさ上げ工事が進められています。風が、とにかく風が強いのです。
陸前高田・大石の虎舞2
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物産センターから坂道をのぼって、地元のお宅や栃ケ沢ベースの仮設商店などで門付して回ります。栃ケ沢仮設団地の駐車場でも舞いを披露しました。お囃子にひかれて「うちでもお願いします」と何軒かのお宅からも声が掛かりました。(冒頭の音が少し切れています。すみません。画面が曇っているのは、舞いで汗をかいたから。胸ポケットにスマホを入れていたので…)
とにかく大きくて、不思議とリアルな虎の舞い
虎舞は三陸地方の村々、浜、それぞれの町内に伝わる新年の舞い。地域によって権現様の獅子舞だったり、こちら大石の虎の舞いだったりさまざまです。大石の虎舞は舞い手も囃子方もみんなが縞模様の虎の股引を着て、大きな獅子には3人が入るので足が6本。集落の家々を門付(かどづけ)して回ります。
右が雄、左の黄色い方は雌とのこと。雌の虎は中学男子が演じます。今年参加した中学男子は3人だったので、交代なしでずっと舞い続けていました。お疲れ様!
右は子どもの虎。お囃子方の女性二人が舞いました。笛を吹いたり虎を舞ったり。大石の虎舞は少数精鋭です。
栃ケ沢ベースでも舞いました。おかし工房「木村屋」さん、おしゃれな器と和雑貨、そして地酒の「いわ井」さん、行列ができるお蕎麦屋さんの「やぶ屋」さん、心からの笑顔を撮影している「大坂写真館」さん、地域医療に貢献する「平成歯科医院」さん。お店の中にもお邪魔してこころを込めて舞いました。虎の胴体の中から見るお店の風景は、ふだんの視界とはまったく違っていて不思議な感じ。舞い終わって虎から出ると、お店のみなさんが笑顔で拍手してくれる、それが嬉しくて仕方がないのです。(ここまでの間に4回胴体に入らせてもらいましたが、もうこの時点で汗だく)
こちらは仮設住宅での虎舞。「頼んでいなかったんだけど、うちでも舞ってもらえませんか」との声に応えての舞いです。大石の虎舞の掛け声は「じょいわな、じょいわな、悪魔払ってじょいわな」。幸せを祈る舞いです。
太鼓やお頭の移動はリアカーで。大石は坂の町なのでリアカーを曳くのも一仕事。坂道をのぼりながら太鼓方のKさんが、町の昔のことを話してくれます。岩手県の沿岸部でもっとも大きい平野だった高田平野の奥、平地から坂に地形が変化していく辺りに位置する大石の集落ですが、町の3分の2が失われてしまったそうです。家々を訪ねて回って門付する虎舞は鎮魂の舞いでもあるのだと思うのです。
虎を抱えて坂を下っていく先に、かさ上げ工事が進む高田平野が見えています。
坂の途中の左官屋さんの前で休憩していると、川原の町の祭り組が栃ケ沢ベースで舞いを始めました。こちらは秋葉権現川原獅子舞。悪魔祓いの権現舞です。舞いも装束もお囃子も(そして人数も)大石の虎舞とは違っていて興味深いものがありました。
川原の権現舞はお囃子の太鼓を軽トラに載せて。しかもスピーカー付き。
川原の権現舞を見にきた大石の面々。祭りって不思議なもので、ほかの組を見るとちょっとした対抗心のようなものが頭をもたげる。同じ地元の仲間なのだけれど、「やっぱ大石の虎舞だよな、虎々の股引もお洒落だし」などと。(と思ったのは自分だけかもしれないけれど)
大石祭り組の面々が虎舞に戻っていきます。栃ケ沢ベース前の国道からは、坂の下に高田の町が一望できるのです。
「虎舞が体験できるらしいよ」と友人に誘われて、前夜祭が行われるという公民館を訪ねると、「参加者が少ないから会場を居酒屋に変更」とのこと。市役所の仮庁舎近くにある居酒屋に入るとメンバーは4人。獅子舞と同様に相当ハードな舞いだから、入れ代わり立ち代わり交代しながら舞うもんだと思い込んでいたので少々面食らう。
しかし、飲み食いしながらの話は楽しくて。みんな同じ地元で生まれ育って、小学校や中学校は同級生や先輩後輩。会話に引き込まれた。
「近道だからって、わざわざ丘を越えて小学校に行っていたけど、下の道を通ったほうがはるかに早かった」
「雨が降ると小学校の校門の下の側溝が水であふれそうになる。そこを堰き止めてダムをつくると道が水浸し。先輩たちがそれをやってる姿を見て、よし俺たちも上級生になったらやるぞって思ってた」
「伝統って、そうやって受け継がれていくんだよ」
「小学校は遠かったから行き帰りも楽しかったけど、中学はすぐそばの坂の上だからな。うちなんか本当に中学のすぐ下だから遅刻しそうになると先生が上の方から叫ぶんだ。こら早くしねえと遅刻だぞって」
「松原にもよく行ったよな。林の中に○○本が落ちてたりしてね」
「酔仙酒造は試飲もできてね。中学生なのにもぐりこもうとすると、ポカってやられちゃうんだ」
「おれもそうだったな」
「そうそう、そうやって受け継がれていくんだよ」
大石の集落では虎舞も、夏祭りの「うごく七夕」も震災で途絶えることがなかった。公民館も津波被害を受けたので、虎舞の頭も泥水に浸かった。七夕の山車は流されることこそなかったが、半分の高さまで泥水に浸かった。数年前、七夕の準備をしていた大石の面々から、津波の高さを教えてもらって驚いたのを憶えている。
大石は坂の町だから、公民館よりも少し上からは津波に流されることはなかった。公民館より低い場所はたいへんな被害だった。高台は古いお宅が多いので、住んでいるのも高齢の人が大半だという。祭りを支えてきた若い人たちは、避難したり仮設に入ったりでほとんどが集落を離れてしまった。
あまりにもたくさんの人を津波に奪われた。友人、親戚、家族。後で聞いたら避難場所に指定された公民館のすぐ近くで亡くなった人もあったという。元々の避難場所だった中学から、「まさかここまで津波は来るまい」と避難場所の指定替えに携わった人もいる。
「続けていかなきゃ伝わらないからね」
祭りのリーダーとして虎舞を、七夕を続けてきたSさんはさらっと言う。でも繰り返し何度もそう言った。
「体験」という気持ちで行ってみたのに、「本番でやってもらわないと」という話になってしまう。「大丈夫、3軒も舞えば覚えるから」。そう言われてのぞんだ虎舞本番の朝。前夜祭よりは多くのメンバーが集まってきた。それでもやっぱり少数精鋭。
虎の胴体に入る。前の人の足に合わせて自分の足を動かす。後ろの人の足を踏んだり、前の人のお尻にぶつかったり。「3軒舞えば…」なんてウソじゃんと思いながらも舞わせてもらう。
どう動けばいいのか分からないまま動いているから、やたらと疲れる。汗だくになる。前の人の動きとぴったり合わなくても仕方ない。もちろん全体の流れは意識しなきゃだめだけど、基本は太鼓の音に合わせて足を振り上げて舞えばいいんだと気づいたのは、門付も終盤に入ってからだった。もう、何回舞わせてもらったのか、カウントするのも忘れた後だった。
虎に入らない時は掛け声だ。
「じょいわな、じょいわな、悪魔払ってじょいわな」
これを二回繰り返す。商店で門付する時には二回目が「じょいわな、じょいわな、商売繁盛じょいわな」になる。
それがなかなか声が出ないのだ。人前を気にしているものがあった。地元のこどもたちだって声を出すのがちょっと恥ずかしそうだった。でも、恥ずかしいとかそういうことじゃない。災厄を払い幸せを祈らせてもらうのだから、自分の恥ずかしさなんか関係なんだと気づいた。これもまた門付が最終盤になってからだった。
坂道の多い大石の町。国道を中心にした小さな谷のような地形に笛の音が響き渡る。高い音色が心臓の真ん中をしびれさせる。太鼓が腹に響く。舞いが始まる。
陸前高田・大石の虎舞3
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「七夕にも来てくださいよ」。祭り組のたくさんの人に言われた。もちろん!と答える。たまらなくうれしかった。
夏のうごく七夕も、来年の虎舞にも行く。祭りを続けることが大石の伝統を伝えていくこと、つなげていくことなのだから。
今でも、虎舞に参加した時に祭り半纏と虎々の股引の下に着ていた私服を着て、その時に履いていた靴を履いたりすると、自然に足が動き出しそうになる。笛と太鼓の音が聞こえてくる。右足を振り上げたくなる。ぐっと腰をかがめるあの感じがよみがえる。
ひとつ報告があります。
ついに篠笛を買いました。大石で友人になったYさんが「Facebook始めたばかりだから使い方がよく分からなくて」とコメントしながら、何枚も送ってくれた写真と情報を頼りにして、祭囃子が盛んな町の楽器屋さんの和楽器専門の売り場で。Yさんにはこう書いて送りました。
「そんな簡単なものではないと重々承知の上ながら、できるかどうかも分かりませんが、とりあえずは十年後くらいを目標にして、練習してみたいと思っています」
10年後。ほんとうは、できることなら百年でも虎舞に参加させてもらいたい。
陸前高田市・大石地区
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