みんなの家から遠望した陸前高田の巨大ベルトコンベア。近くから見ると本当に巨大。
JR大船渡線のBRT「奇跡の一本松」バス停や、一本松への駐車場「一本松茶屋」のすぐ近く、迫ってくるようにそびえ、手足のように長い長いベルトコンベアを伸ばしている。
一本松茶屋は巨大な工場の敷地の中にあるようにも見える。
下から見ていてもベルトコンベアはただ巨大さばかりが目について、全体像は分かりにくいのでGoogle Map(2015年1月21日にキャプチャ)の画像で見てみよう。
ベルトコンベアの先端部分は扇型に動くようになっていて、大量に運ばれてくる山土を、高く巨大な盛土として積み上げていく。それを大型ダンプや大型の建設機械を使って整地していくという仕組みだ。
土は気仙川の対岸の今泉地区の山を切り開いて、高台の宅地などにする造成現場から、土砂運搬船用のつり橋「希望のかけ橋」と、高田地区にはりめぐらされたベルトコンベアのラインによって運ばれてくる。
かさ上げ工事が進む陸前高田市
ベルトコンベアは幅1.8m、全長は約3kmもある。運搬速度は1分間に250m、1時間に約6,000tの土を運ぶことができる。この運搬量はダンプカーに比べて5倍速。
山を切り開き、そこから出た土を盛土材として平地に運んでかさ上げする。陸前高田の平坦地ではダンプカーを使った従来の工事では9年かかるところを2年半で完了の予定だ。
巨大なベルトコンベアを見上げ、たくさん写真を撮影してきたのしばしお付き合いを。
気仙川に架かる国道45号の気仙大橋は津波で流された。現在はやや下流に架けられた仮設の橋が使われている。このベルトコンベア専用の橋の工事が始まった頃、てっきり気仙大橋の架け替えかと早とちりした。
町の人から土砂専用の橋だと聞かされて、奇妙な感じがしたものだ。その後工事が始まった巨大ベルトコンベアにも違和感があった。陸前高田の町がどんどん変わっていく。かつての姿がなくなっていく。
しかし、自分が知っていたのは震災の後の陸前高田の町の姿でしかない。町の人たちにとって、美しい町並みも松原もすでに失われている。前に歩いていくためには町を再建するしかない。再建するためにはまずは土地を造らなければ始まらない。
陸前高田市が早く復興するように
みんなが元気になれるよう
未来の架け橋となって
たくさんの人が希望を持てる
すてきなまちに戻ってほしいという願いが
込められた名前を考えてもらいました。
「希望のかけ橋」命名について、陸前高田の戸羽太市長のメッセージ(平成25年12月)
昔の町の姿が消えていくことを歓迎する人はいない。それでも山を削り、盛土をし、道をつくり、鉄道をつくり、新しい町をつくっていくしかない。
そんな意味での「希望のかけ橋」。
そういう意味での巨大ベルトコンベア。
そういえば、震災の後に生まれた陸前高田のマスコットキャラクター「たかたのゆめちゃん」のオフィシャルストーリーに、住んでいるのは奇跡の一本松の上と書いてあったのを思い出した。高田の町にはマスコットの住まいになるような場所が一本松しかなかったのだと。
盛土の上に仮設の道が付け替えられた後は、昔からの道路も盛土の下に埋められてしまうのだろう。津波よりも高い場所に新しい町を造っていくために。
震災以前からの道路は、かさ上げが進む中、最後までかつての町の記憶を思い出させてくれるもののひとつだ。それも近いうちに見えなくなってしまう。
凍てつく強風の中、「希望のかけ橋」という言葉を噛みしめる。
最終更新:
saburouta
地元の小学生が名づけてくれた『希望のかけ橋』。まさに陸前高田の希望そのものだと思います。
わたしも昨年の6月にこの巨大コンベアを見ました。土砂を運んでいるコンベアを見たとき、気が遠くなる思いがしたのを覚えています。でもこうして工事が進んでいるのを見ると陸前高田は必ず復興すると強く感じます。