[関東大震災の記憶]宇佐美の奇跡

iRyota25

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南国情緒あふれる温泉の街、伊東にも関東大震災の津波は押し寄せた
南国情緒あふれる温泉の街、伊東にも関東大震災の津波は押し寄せた

「あれって何年、たしか大正12年だったっけ。それじゃもちろんオレは生まれていないし、オヤジもまだ7つくらいか。だからなあ、津波の言い伝えってったって…」

伊東市宇佐美の漁港で話した今年で70歳という漁師さんは、関東大震災の津波という話に一瞬首をかしげました。それでも、「当時の雑誌を見ると、地震の後に海が急に引いていくのを見て村の人が一斉に避難したから、宇佐美では死者が出なかったそうですね」と話題を向けると、91年前の津波の話が次々に飛び出してきます。

「津波はな、湾の南の方から押し寄せてきて、だんだんと高まっていって、ちょうどこの辺りで一番大きくなったっていうな。すぐそこの家まで浸かったって聞いてるよ」

石垣の上に建つ家が浸かったということですから、少なくとも4~5メートルの津波だったのでしょう。写真に写った人の背丈と比べると、その規模の津波でもかなりの高さがあったと想像できます。

資料には「高さ七尺(約2~3メートル)の防波堤を越えて」(伊東市史)とありますが、資料の文言から思い浮かべるよりも、はるかに大きな津波だったのは間違いありません。もしも今津波に襲われたらはたして逃げ切れるだろうかと心配になるほどです。

しかし大正12年の津波では、この漁村の人々は全員山へと逃げて、多くの家屋が倒壊したり流出したにも関わらず、全員が無事だったと言います。語り伝えられてはいないだけで、東日本大震災の時の釜石の奇跡と同じような出来事が、この浜でも繰り広げられたのでしょう。

「津波が来る前に水が引いたっていう話も、そこの隣の家の人から聞かされてきたな。沖に出ていた人が、急に波が引いたので地震が来たんじゃないかと言っていたそうだ」

「日頃から訓練とかはあるんですか」と尋ねると、「そんなもんはないな」と漁師さんの答えはつれない限り。しかし話していると、「今でこそ宇佐美は砂浜が広がって海水浴場としても流行っているが、昔はゴロタ(石の浜)だったんだよ」とか、「昔はね、港も今よりずっと小さくて、ここまでしかなかったんだ」と、昔の港の突堤の場所を示したり、往時の記憶がしっかりと受け継がれているのが実感できます。

何しろ昔の港の広さを「この辺り」ではなくて「ここまで」と指さすほどの確かな記憶なのです。漁村の仕事を通じて伝えられてきた記憶の確かさには、机の上で得られる知識とは違う厚みが感じられました。

この日の相模湾はベタ凪。津波が押し寄せてきた南側を見渡すと、宇佐美の海が静かに輝いていました。

多くのサーファーや海水浴客も訪れる風光明媚な海岸の町では、91年前の関東大震災の記憶が、「防災のために!」といった大看板で引き継がれているわけではないかもしれません。しかし漁村の日常の記憶の中に織り込まれるようにして、大きな地震の後には津波が来るという意識も引き継がれているのだと実感した次第です。

願わくば、熟練の漁師さんたちの間で伝えられてきた関東大震災の記憶を解きほぐし、こども達や観光で訪れる人達にも広めていかなければ。それが私たちの課題であることは間違いありません。

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