漁船の避難と陸上の私たち避難「ベース」は同じだちゃ

iRyota25

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「沖出し」ってご存知ですか。ここ数日、津波の際に漁船などの船を沖合への避難させるかどうかの基準づくりについて、たくさんのメディアで伝えられています。

船を持っていない一般の人には「関係ないや」と思われるかもしれませんが、その行動の可否、またはどんな状況だったら沖出しするかしないかの判断は、私たちが地上で津波から避難することを考える上でたいへん有用な情報を含んでいます。

海の沖合に避難するか、それとも高台に避難するか。その背景にある考え方はほとんど共通するといっても過言ではないのです。

赤灯を通り抜けエンジン全開で沖へ向かう漁船(通常の出漁で沖出しの写真ではありません)
赤灯を通り抜けエンジン全開で沖へ向かう漁船(通常の出漁で沖出しの写真ではありません)

まずは、3月4日に朝日新聞が伝えた「沖出し基準、2漁協決定 10メートル超なら回避」から引用します。

津波発生時に漁船を沖合に避難させる「沖出し」のルール作りを県の支援で進めている階上漁協(階上町)と関根浜漁協(むつ市)がそれぞれ、津波発生時に漁師が陸上にいる場合のルールをまとめた。高さ10メートルを超える津波では沖出しを回避する一方、地形や所有船の特徴など各漁協の特性を参考に避難海域の水深などの判断基準を細かく決めた。

青森)沖出し基準、2漁協決定 10メートル超なら回避:朝日新聞デジタル

どうして津波が迫っているのに船を沖へ??

どうしてわざわざ津波が襲ってくる沖合に向けて船を出すのか。その理由は津波の性質を考えれば納得です。

津波は水深が深い場所ではジェット機や新幹線並みのスピードで進むと言われますが、浅瀬に近づくにつれてスピードが遅くなります。巨大な水の固まりである津波が容積が狭い場所に押しやられることで速度が低下するとか、海底との摩擦でスピードが落ちるとか、説明のされ方はさまざまですが、事実として津波は水深が浅いところに入ってくることで速度を落とすとともに、波の高さを異常なほどに高めるのです。

東日本大震災では最大遡上高で40メートル近くにも及びましたが、沖合の海面高さを測定するセンサでは8メートルほどの高さだったというデータがあります(8メートルでも恐るべき高さ、信号機の高さの2倍以上だということをお忘れなく)。

理由が何であれ津波の先端部分のスピードが遅くなれば、後に続いてくる水の塊は前にある水に追いついて、その分高さを増して行きます。海底が浅くなればなるほど、先端部分のスピードは遅くなり、その分後続の津波に追いつかれ、行き場のない水の塊は津波の先端部に覆い被さるようにして水かさをましていくのです。

この説明が科学的に正しいかどうかはわかりませんが、湾奥部だけではなく、岬の先端付近でも津波が大きくなる現象など、津波が陸地付近で突然高くなる理由を想像しやすいと思うので、ぼくは誰かに説明する時には海底が浅くなると津波のスピードが遅くなって後ろから来る波に追いつかれて波高が高くなるというこの理屈で話すことにしています。

これは、科学雑誌や初心者向けの津波解説書に書かれているような内容で、誰かの学説なのかどうかもわかりませんが、じっさいに津波被害にあった漁師さん、沖出しして船を守った人、沖出しを断念したからこそ助かったという人、様々の人と話をして、水深と津波の高さには確実に深い関係があることは確信しています。

津波の恐さをずっと伝えられてきたからこそ、漁師さんたちは津波の危険があるときには、沿岸部よりもはるかに波高が低く、漁船でも乗り越えられる可能性が高い沖を目指すのでしょう。

津波を経験した漁師さんたちの言葉

東北の大河北上川の河口から程ない所にある漁村のリーダーは、「沖出しはしなかったのですか?」との質問に、少し顔をしかめてこう答えてくれました。

「この辺はな、陸からみるとリアス式でちょっと沖に出たらどん深になってるように思えるかもしれねえが、意外と遠浅なんだよ。北上川の河口のすぐ近くだからな。だから沖出ししようったって相当遠くまで行かなきゃならねえ。そんなことしてるうちに津波が来たら全滅だ。だからこの浜は沖にいた人たち以外は沖出ししなかった。そのせいで漁船はほぼ全滅だ。でも北上川のおかげで俺たちの漁場はこれまで育まれてきた訳だからな」

と話すなり口をつぐみました。

そこからリアス式海岸の岬を2つ3つ越えたところにある漁港では「家は流されたが船は守った」という漁師さんの話を聞きました。

「地震の後、家族と子供らの無事を確かめてから漁港まで軽トラでおりてきて、でもここにクルマ置いてちゃだめだって少し高台に移動させたりして、いろいろ手間取ったから船を出したのはギリギリの時間だった。入り江から船を出したのとちょうど同じに、漁港の中の水が不思議なんだなあ、赤茶色とか黒とかに渦巻きだして、振り返って見ているとすぐに海底が姿を現した。エンジンはフル回転ちゃ。いやあ、ここら辺はちょっと沖に出せば100メートル以上の深さがあるから助かった。漁港の中にあった船なんか渦みたいなのとか、その後にすぐに来た津波であっという間に飲まれてしまった」

船は守ったが、自宅や作業小屋が津波に飲まれるのを、その漁師さんは沖からただ眺めているしかなかったそうです。

牡鹿半島の南側の漁港では、陸で作業していた漁師たちが船を沖出ししようとするのを体を張って静止したリーダーの話も聞きました。

「船を守りたい、家を守りたい、そんな気持ちはよく分かる。でも命が流されたらなんにもならない。考えてみろ、もしも俺たちの周りに津波で全部流されて困ってる誰かがいたとする。そしたらみんなでそいつのことを助けてやるだろう。もしも俺たちが無一物になったって、俺たちを助けてくれる衆は必ずいる。それを信じろ!」

その浜も北上川旧河口近くの水深の浅い漁港でした。

津波被害が残る石巻市雄勝町船越の埠頭(2012年)
津波被害が残る石巻市雄勝町船越の埠頭(2012年)

漁師さんは海の技術者でしかも科学者

最近、沖出しに関して伝えられるニュースは、東北のリアス式海岸での沖出しの可否、またはそのルールづくり。南海トラフ巨大地震の際の徳島県での「沖出しはしない。沖で操業中の場合の避難海域を周知する」。紀伊半島など「沿岸部で操業中に沖に逃げることも難しい、といって港に帰っても間に合わない、だったら別に緊急時避難場所を設けよう」といった話などです。

そして、なぜか新聞記事の中では「これまで津波について科学的に考えたことのなかった漁師」といったニュアンスが伝わってきて、そのことに大きな違和感を覚えました。

自分が話をした漁師さんたちは、生活の糧にしている海を詳しく知っていました。港からどれくらいの距離まで行けばどのくらいの水深があるか。どこに岩場の根があってどこに海底の谷が走っているか――。

当然です。少なくとも、海底地形の基本である深さくらい知らなければ漁師などできるわけないのです。刺し網でも定置網でも養殖でも釣漁でも、漁師さんたちは海の中の地形に合わせて漁を行っています。海の中のことを知らなきゃ話にならんのです。

そこに、津波が来たら少なくとも水深50メートル以上の所に逃げろ。これはずっと伝えられてきた掟です。深場へ船を出せ。しかしそもそも、逃げて安全な水深は船の大きさによって違うぞ、ということをずっと言い聞かせられて漁に携わってきた人たちなのです。

津波が来る時に、自分の船で安全な水深や地形の場所まで逃れるのにどれくらいの時間が最低限必要か。そこまでたどり着けないリスクはどれくらいか。またあるいは、リスクを押して沖出しして自分が死んでしまったら家族がどうなるか。あるいは逆に、沖出ししないで家も船も失ったとき、自分と自分の家族はどうなるか。いろいろなことを瞬時に考えて、それぞれの判断で「沖出し」という行動をとった、あるいは沖出しをやめた。その結果、たしかに沖出しによる犠牲者はあったものの、それぞれが自分自身の判断で、これしかないというギリギリの判断で行動したのではないかと思うのです。

その前提には、彼らが仕事の場としている海のことを知り尽くしている、あるいは知っているつもりだが海は怖いものだという畏怖の念を同時に併せ持っていた。それを明治の三陸津波、昭和三陸津波、チリ津波など幾多の経験の中で継承されてきたことは間違いないでしょう。

浜出しの可否を決めるのは行政でも誰でもなく、本質的にはその海で生きる人たちだと思う

むかし牡鹿半島の牡蠣漁師さんのことを「海の紳士」と呼んだ人がありましたが、自分たちの漁場を、海上陸上の養殖施設を、船の大半を津波によって破壊され尽くした先に生き延びてきた人たちです。さまざまな経験の後に備えられただろう彼らの人格を「紳士」と呼んだのは至極名言でした。でも、それだけじゃない。彼らは牡蠣養殖を通して、また子供の頃からの海での生活を通して自分たちの海のことを知り尽くしていた。だからこそ、震災後の急場しのぎだなんていいながら、定置網にチャレンジしたり、ワカメ養殖を始めたりすることができたのだと思います。

深く深く海を知っているからこそ、沖出しに行くかとにかく逃げるか、浜ごとに決めることができたのです。そこには陸に行きている私たちには見ることができない、海への洞察力があったのは間違いないでしょう。

実際、素人が海面から海の中を見ても見えない魚やウニやアワビを漁師さんたちは、「ほれ、あすこにさ」と指差したりしてくれますもんね。

さて、そこで翻って陸上に生きる私たちの防災対策です。

陸に生きる私たちのサバイバル処方

海の中とは違って、私たちは陸地の地形をつぶさにこの目で見て知ることができると思っています。でも、海に生きる漁師さんたちが海底のことを知っているほどに、私たちは地上のことを知っているでしょうか。漁師さんたちと話をしていると、そのことを痛感させられます。

たとえば最近では「ここは海抜何メートル。津波の時はどこそこへ避難」といった標識が自治体の手で様々な場所に設置されています。その海抜高さの数字を見てびっくりすること、ありませんか?

ほとんど平らな道だと思い込んでいたのに、ほんの数百メートル違うだけで海抜が1メートルほど違っていることなどしばしばです。

漁師さんたちは、ポイントごとに「ここは何メートル」って、魚探なんか使わなくてもあたりまえって感じて言っちゃうんですよね。

海に生きる人たちばかりが特別なのではありません。陸の自然とともに生きている農業の人たちは「水平」という感覚が、都会で暮らしてきた人たちとは比較にならないほど鋭いものです。なぜなら、水がどちらに流れるかは田圃や畑を作る上で不可欠の要素であり、それを毎年のように田起こしして田圃に水を張り、畑であっても用水の整備をしたりする中で、ほとんど感覚的といっていいほどに研ぎすまされて行くものだからです。(だから冬場の土方は仕事が上手いと言われてきました)

あまり知られていませんが、平坦に思える都会の町中であっても「微地形」というものが存在します。大雨が降った時に冠水しやすい道や場所というのは、もはや微地形の範囲を超えた明確な地形だったりもしますが、雨水がどっちに流れるか、側溝がどう流れているか、下水道の下流はどちらか(地形により側溝の流れと下水の流れが逆の場合もかなり多いのですよ)などなど。生えている植物の種類までもが土地の高低の目安になります。(ヤナギやクルミが自生する場所は地下水位が高い可能性がある。地滑りや液状化が起こりやすい場所かもしれないなど)

地形を詳細に知ることは、当然ですが直接的にも防災・減災に役立ちます。

駿河湾の一番奥に当たる沼津の原という場所は、平面的な地図で見た時には東海地震津波による被害を最も受けそうな場所ですが、寺社の記録から想定した江戸時代の東海津波による被害は思いのほか軽微だったという説もあります(元・東京大学地震研究所 都司嘉宣氏)。もしかしたら、度重なる大波で海岸付近に自然堤防的な高まりが生じていた千本松原によって、内陸のそれよりはるかに海抜が低い地域がギリギリ守られということなのかもしれません。沼津の原付近では、現在でも海辺間近の千本松原とその先に建造された防潮堤を最高地点として、そこから内陸にかけては東海道線が走る市街地を最低部として、標高が逆進する地形となっています。

江戸時代には破られなかったかもしれないとされれる千本松原ですが、もしも巨大津波に乗り越えられたら、想像を絶する被害が生じるのは間違いありません。

相模湾沿いも同様でしょう。おそらく河岸段丘があったであろう場所を、砂丘が覆う形状になっていますが、10メートル強の津波が襲来した時には、西湘バイパスが防潮堤として機能するかどうか、未知数です。

海や陸地の自然を我が庭として生計を立てている人たちに及ぶべくもありませんが、ふだんの生活の中で自然や地誌を知って行くことが、防災・減災を考える上でのベースです。

行政が示す防災計画やハザードマップは、その作成過程を見れば分かるように不確かな想定の上に作られる場合が少なくありません。前提が不確かだから結果も絶対ではない。もっとも人間がつくる計画ですから絶対なんてものはないわけで、問題はそれをどう「読み解くか」です。

船という「生活の糧を」守るか、その行為によって自分の「命」を守れるかという極限を生き延びてきた漁師さん、自然に生きる人たちの声から学ぶことはたくさんあると思います。

学ぶべきは、「心構え」と「真摯な観察眼」そして「行動力」に尽きると思います。

写真と文●井上良太

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