“うざがられなければ日本は変わらない”
(ともくん大開花説法集①)
※隠れサイトからのコラム転載です
日本の就活自殺者にひかりを
私が一番引いちゃった話なんですが
いまいじめで世間を騒がせる問題も然り
自殺者で就活自殺というのをはっきりとデータ統計としてみたことね
アレはなんなんだと、この世の中全体のシステムが日本が
大体おかしくなってしまいすぎているとおもう んだよね
子供の頃から周りに合わせて人の目を恐れながら
大人になった瞬間就職で急に面接官から“自分らしさを語れ”といわれて
言葉につまり即 落とされていく学生達。どうすればいいのかわからずに親のメンツをつぶすわけにも行かない
考えれば余地はいくらでもあるのに いった企業何十社でそういう目に会い 考えの幅を広げず
自殺という人生そのものに対する敗北宣言(いかに極限まで追い詰められたとはいえ)をする。
そういう人々に共通するパターンは、 〝極端に人の目だけしか気にしていない〟そのくせ身勝手でなにひとつ他人のこと考えてない
この国の風潮すべてに食い物にされ、反抗せず育ってしまったいわば“よい子ちゃん”の末路なのだろうか。
それじゃあまりにいたたまれてならない。
私ははっきり言ってそんな彼らとは真逆の野生児的育ち方をして、
世と闘い続けてこんな大人になってしまった すばらしい歴史と伝統があります笑
なんどもピンチピンチピンチ・・・・・をあらゆる手助けとご縁
そして転機と努力で乗り切らせていただいたんですが
あのときあまりに失神しそうな苦しみに
“いま、包丁があったら殺してくれー”といっていた私が言いますよ。
いかに死ぬほど辛くて人生を諦めかけてしまいそうになったからといっても
それでも “わがままはいうな” 自殺を選び周りの人を傷付けるな
ということ。
それだけは断固間違っています 身勝手極まりありません。
周囲を不幸のどん底に陥れます。 即刻やめなさいね。
わたしの小学生以来の知人や親御さんでも自殺した人がいっぱいいるけど
ほんとうに周りをとんでもない目にあわせておしまい。ただそれだけしか生みません。
お説教されるべきは自殺者なのです。
まあほんとうにそれ相当の苦しみがあったんでしょうが、
そこから逃げるなんてことが許されるものではない。
自分を殺すという行為 つまり殺人です。それは
周りの人の心も殺してしまうよ。
「私ばっかりなんでこんなはずじゃなかった。」 ・・・知らないよ。
一人で銀河の果てまで悩んでろと
ねちねちねちねち深刻な悲劇のヒロインぶりやがって と言いたくなるときがあるのよ大体。
“私の思いをなんでもかんでも理解してくれない世界なんてあっちゃいけない”
そういうエゴイズムがその悩みを生み出しているのです。
それに気付きなさい! といいたい。
本当に幾度も苦しんだ体験をしている人はそういう風に短絡的にならないのです
ちがうんです。
「またかよ!くっそーばかやろーめんどくせい!」笑^^;
そうなってしまうのです 爆笑
“どう切り抜けるか” と思考して その問題に対して
もうドライに考えざるを得なくなってしまっているからなの。
苦しみもどう逃げるか、誰のせいにするかじゃなく〝どう関わっていくか どうかわせるか〟
そういう風に論理的に見つめていこうとできるようになるのよ。
そう考えられる人は、即刻自殺なんて絶対に選びません。
だってそこからどういう人とであって 数年後海外で結婚して
自分のお店を開くようになるかもわからないのですから。
機転が利いてるんです
世界一周を自転車で計画する若者もいるかもしれません。
人生は長いんです。 そして“どこからだってなんでもできます”
おばあちゃんというくらいの年齢なのに
高校生と笑いながら授業して幸せを掴んでいた人を私は知っています
別に職人になりたい 八百屋になりたい 家柄もぶち抜いて破門されたっていいではありませんか。
“世界一の技術を持ったそれになれば良いだけのこと”です
そんな家こっちから出て行ってやればいいんです。
それか、むりやり取っ組み合いのけんかでもしてどうにか最後は理解させればいいんです。
若いうちならちゃんと自分の意見は言ってみて、わかってもらえるかは後回しで そうすべきですよ。
それがむずかしいかもしれないけれども。
でも、よほど性根がねじ曲がった親でなければ
話し合うことはできるかもしれません。
こっちも聞くところはしっかり聞いて関わっていけば わかってくれます。
そんなわけなんですが 以前雑誌の編集者の方に
「この世の中どうしてだかこんなにも暗いですけれど
ともさんは、とにかくともさんのスタイルでやって行ってください!
その純粋で染まらない個性がみんなのためになるんです」
切実な応援だと感じ本当に自分もその意思を受け取った。
それから今の日々あるわけですが
今の日本というのは、 自分の意見をはっきり言う 主体性や個性が理解されがたい
束縛される、 倣え右 ヒエラルキーが生じる教室 重苦しいムードが牛耳る職員室
若手先生も熱い意思に燃えた意見がどこまで通るかわからない問題 そしてでてくるPTA
学生達を採用不採用をする大人たちはじめ
学校で子供達を育ててきた教職員、またその学生達の母親、父親
つまるところの団塊の世代というヤツだよね
戦後世代もそうだけれどもね いつの間にか、
「相手を蹴落としいい大学に入って金もうけけて世の中牛耳って
人の目を気にして生きていればいい」というのが世の中の構造らしい。
“そんなシステムくたばっちまえ”とおもうね・・・・・・・
海外でもお偉いがたが一堂に集まったところで
日本が一番 遠慮して肩身狭くして恐縮しきったふうなのはなぜなんだろう?
たとえば中国観光客のどうしようもないような野蛮な品性の無さや
アメリカの“なぜそこまで雄大にリラックスして上から目線なのですか汗”的雰囲気ー
というのとはまた違うとおもうんだけれども・・・日本は強いのかなあ そういう空気がね
ヨーロッパ系の伝統でも いい具合に自分の意見や人と違うことを尊ぶ考え方
そういうのが個人的にはわたし好きですね
お国柄って言えばそれまでなんだろうけれど
でももっと、せっかくの良い部分を前へ出していったほうが“潔し”って感じがします
本当の謙虚というのは自分を偽って誰かの影になることじゃないんだよ。
人には皆、平等にして
胸を張って、パーんと すべての人々に 自分の尊厳と才能を見せ付けてやらなくちゃいけない義務が在るんです。
日本人よ。もうそれ以上へなへなするな。
あまりに私たちの国の品性に申し訳ないから。
自分たちというのは、やはりそれだけ立派な民族だとおもうから。
それに感謝して
それをどんな事があっても 忘れては、なりません。
昔のこの国のいいところは、そういうプライドを命と等しく重んじるところがあったよね。
同じく礼儀も。
だからこそ会話のひとつひとつに本当に相手を立てる謙虚さややさしさ、風格
凄みがあって それこそどこの国にも無い美学だったとおもうんですよね。
その血は今もものすごく燃え滾ってると僭越ながらわたしも感じてます
他国の文化と自国の文化 さまざまなものをミックスさせて
独自の素晴らしい歴史を作っていたし
この国ほど世界に誇れる要素に溢れる
“おもいやりと品性を持った国” というものはないとおもってるんだけれどもね
この国の社会制度とか 一概にすべてを否定する立場にはないと思ってるけれども
このままで
ほんとうに真のインテリや企業人文化人などが
前途した倣え右の空気からは輩出されるとは到底思えませんね。
本当に大切にされるべきはずのものが
今なくなっているんじゃないのかと思って憂う今日この頃です
“日本人には心がなくなったのか”と危惧するおじいちゃん方がいましたが
たしかにそれはわかるよ。
安心できうる文化 社会の空気が無くなっちゃってるもの
なんだかぜんぶグレーになってる。
それに対抗するかのように汗
なぜ私のサイトがあんなにピンク祭りなカラーグラデーションになってるのかというのは、
ぱっとそういう疲弊した心も華やぎますし 心も柔和になる。
人々にこれまでなかった新たな時代の意識を広げていくことができるからなんです。
やはり、色にも 力というものがあるから。 風水も然りですし
力が出ている 心理的なものだけはなく
そしてその波動が周囲へ影響を与えているとおもうから。
今の時代は精神的な疲弊の残党達がうごめく戦国時代になってるとおもう
はっきり言って企業のお偉いがた
政財管財あまり信用してません。はっきり言って
そりゃ普段は人間の内側とオーラで見た見地で 判断しますが
ストレートに全身全霊で
そんな若者達に
アバンギャルドな大開花美学を注入してやること
自分を隠してしまう情けない
苦しい卑怯な生き方ではなく
とにもかくにも自分にも、あなた自身にも
世の中の取り巻くそんな空気というものは
全力で変えていくことができるんですよ
という智慧を授けていく授業を広域に展開していくこと。
人々の切羽詰った意識を救済していくこと
今までだれも言ってくれなかった
“まったく新しい角度の存在”による
渇望の光ー
カルチャーショックかもしれない。
今まで目立ってはいけない、
型にはまることが優秀とされてきた世代にとっては。
根気よく、出すぎた杭になって
うざがられなければ世の中は変わらなさそうだ。
それをやり続けていくということが
そんな問題たちを切り拓いてゆく
唯一の方法だと思う。
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