海辺の地をゆく「気仙沼漁港」 2013年4月17日

iRyota25

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2013年4月17日(769日目)の宮城県気仙沼市・気仙沼漁港

早朝の気仙沼漁港に散歩に行ったら、埠頭は工事用の資材や重機でいっぱいで、とっても忙しそうな状況でした。

上の写真で積み上げられた、黒いゴムのようなものは、防舷材とよばれる係留用の資材です。左の写真のように使って、岸壁に船体が当たらないようにガードするんです。

黄色い浮きのようなものも防舷材。こちらは船の方に付けておくものです。

漁師さんの話によると、地盤沈下で低くなった岸壁にも、改修が済んで高くなった岸壁にも対応できるように、前より防舷材を長くしているとのことでした。

港の埠頭って、岸壁ぎりぎりのところまで陸地があるのではなくて、途中からは海の上に張り出したデッキ状になっているんですね。

デッキ部分の蓋が外された、修理中の埠頭を見てはじめて構造が理解できました。

こちらは改修工事の最前線。デッキ部分は現在より1メートルほど高くなるようです。写真の右側、陸地側でもかさ上げ工事が進められていました。

震災から768日。港の復旧工事も本格化してきたようです。

でも――、

手放しで喜んではいられません。

埠頭のデッキ部分の継ぎ目は、いまもこんな状態です。

地震による地形の変動で、陸地全体が東に引っ張られて、巨大なコンクリート建造物がずれてしまっているのです。

隙間があいてしまっていたのは、上の一カ所だけではありません。魚市場に隣接するこの地域の埠頭のほとんどが、ずれていました。

港では、大型のフォークリフトなど重量のある車両や機械が使われます。隙間があいた埠頭の上での作業はとても危険です。

被災地の大規模な漁港の中で、気仙沼は塩竈に次いで水揚げ再開が早かったと記憶していますが、港の施設は2年以上も危険な状態のままだったのです。

そんなことを考えると、復興がまだまだ先のことだということを、あらためて思わずにはいられません。

船が係留できる場所、水揚げのための施設、製氷施設、冷凍施設、加工施設…。
漁港はさまざまな施設と機能が組み合わされたシステムです。
一部だけが復旧しても、元の機能は回復しません。
とはいえ、震災ですべてが失われたものを、いっぺんにすべて元に戻すことは不可能。少しずつしか進めない中で、少しでも実りが多くできるようにと気仙沼の人たちは腐心しているのです。

震災にも関わらず、生鮮カツオの水揚げで16年連続日本一を記録したり、総水揚げ額が震災前の約6割まで回復したり(ともに2012年)と、明るいニュースが伝えられることが多かった気仙沼ですが、こんなに「足元」が危なっかしい状態でがんばってきていたのです。

観光船桟橋・エースポートの仮設船着き場の前には、震災の後も市営駐車場がのこされていました。(2012年11月27日の写真です)

気仙沼大島に住んでいる人の中には、島と町に2台の車を持っている人もいたという話です。もしかしたらセカンドカーの置き場だったかもしれない駐車場も、さら地になっていました。

これまで進展が感じにくかった「町を作り直す作業」は、ここにきて加速し始めているのかもしれません。


大きく変化していく気仙沼には、いましか出会えない風景があります。
いま、行きましょう気仙沼へ。

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●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)

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