ころもはサクサク、中身はふんわりほっこりの白身の唐揚げに、ほんのり甘口のたれ。刻んだ紫蘇がまぶされたご飯との相性は抜群……。
その味は一年前と何も変わらなかった。おそらくこのメニューが生まれた4年前、田老の町中にお店があった頃から変わらないものだろう。
変わらぬ味。しかし変化が読めない町の未来
ここは宮古市田老。田老の町に暮らした人たちの多くが避難しているグリンピア三陸宮古の仮設団地の中。仮設商店街「たろちゃんハウス」B棟1階の善助屋食堂だ。2012年10月に食べたドンコ丼の味が忘れられず、2013年の年末一年ぶりに食堂を訪れた。
食べたのは生まれて2度目のことなのに、2013年の年末はドンコ丼のおかげで懐かしくて、幸せな気持ちになれた。しかし話はそれだけに終わらなかった。
「仮設の人はできるだけお金を使わないようにしてるもの。外食する人はいませんよ」
美味しくいただいたお礼を言って、最近では訪れる観光客の数はいかがです? などと善助屋食堂を切り盛りする赤沼秋子さんとおしゃべりする中での言葉だった。
前回立ち寄った際、赤沼さんは言っていた。「防潮堤を見に来る視察や観光の人たちがここまで来てくれたらありがたいんだけど」と。たろちゃんハウスや善助屋食堂を紹介するテレビ番組やニュースは、その後も何度か目にしていた。はっきり言って有名店だ。だから観光客はどう? と聞いてみたのだが赤沼さんは首を横に振るばかり。外からのお客さんが望めないとなると、仮設の人たちの利用が少しでも増えてくれないと大変だと思って尋ねてみた。地元のお客さんはどうですか? テーブル上には鍋メニューやお酒のメニューも置かれていた。仕事上がりに一杯飲んでいく人たちがいてほしいものだと……。
しかし返事は上述のとおり。たしかに将来どんなお金が掛かるか分からないから、生活基盤を失った地元の人たちにとって外食はたいへんな贅沢に違いない。
70%くらいね。
観光客も期待薄。地元の人も難しい。となると善助屋食堂さんはどうなるのか。
赤沼さんは厨房から出てきて、「うちはここにあったの」と、田老の町の航空写真の真ん中あたりを指さした。赤沼さんの人差し指が示していたのはX字の防潮堤が交差するあたりの内側。町のちょうど真ん中の国道沿い。
「うちは出前もやっていたんです。町の真ん中だからどこに行くのも便利でした。お店は道に面していましたしね。でも、町がこれからどうなるかというと、復興住宅は高台ですし、道路も山の方に新しく造られるから、この先町がどうなるか分からないんですよ。仮設にお店を出しているみんなも、どれだけ町に戻るのか分かりません。そうなると人の流れも、車の通りも、将来どうなるのか」
おいしいドンコ丼の味わいが舌の上といわず、こころの中といわず、幸せの余韻をロングサスティーンさせている。なのに、この現実。
「そりゃ、もちろんお店をやりたいんですよ」
沈黙を破るように赤沼さんが言う。
「でも、町がどうなるのかが分からない」
繰り返しになるのを断ちきるように赤沼さんは言った。
「続けたいって気持ちはとても強く持ってるの。70%くらい」
70%……。
95%とか50%とか言われたら、ある意味納得したかもしれない。でも、70%……。
現状の厳しさ。読めない将来。でも町の人たちに愛され続けてきたのれんへの愛着。
それらがないまぜになったのが、70%という言葉なのだ。この宙ぶらりんな数字が、田老の現実を示しているのだと、考えるしかない。
考えるしかないなんて言うのは、ドンコ丼がいつの日か食べられなくなる未来になど、やってきてほしくないからだ。でも、自分に何ができるのか。
ドンコ丼の味わいは、2週間たった今でもリアルに思い浮かべることができる。ロングロングサスティーン。この味わいを体験できなくなることなんかあってほしくない。
ケ・イ・ザ・イという言葉の前では、こんな思いは子供じみた感傷ということになってしまうのか。でも経済とは本来「経世済民」を意味するものだったはずだ。
感傷でも小理屈でもない行き方を見つけ出さなければ!
たろちゃんハウス
グリーンピア三陸みやこ
報告●井上良太
最終更新: