【シリーズ・この人に聞く!第141回】魚類学者 さかなクン

「ギョギョギョ~!」のフレーズで一躍お茶の間のアイドルとなったさかなクン。魚類学者として活躍されています。好きになったら一直線!その姿を応援する傍らにお母さんの存在。ミラクルな夢を次々と実現しているさかなクンの専門性。幼少期についてじっくりお聞きしました。

さかなクン

東京都出身、館山市在住。東京海洋大学客員准教授、東京海洋大学名誉博士。お魚の生態や料理法など魚類に関する豊富な知識で、2001年1月からTBS系列「どうぶつ奇想天外!」にお魚担当として出演。2010年には絶滅していたと思われていたクニマスの生息確認に貢献。さらに海洋に関する普及・啓蒙活動の功績が認められ、「海洋立国推進功労者」として内閣総理大臣賞を受賞。2011年農水省「お魚大使」、2012年文科省「日本ユネスコ国内委員会広報大使」などを務め、『朝日小学生新聞』にて「おしえてさかなクン」コラムを連載中。

好きになったら一直線の日々。

――さかなクンは年代問わず皆が「すごい!」と絶賛する魚類学者です。お魚が好きになったキッカケは何でしたか?

最初はタコに夢中でした!! 僕はお絵描きが好きで、タコの前はトラック、水木しげる先生の作品の妖怪に夢中で一心不乱に描いていました。小学2年生の時、友達が描いた頭が丸くてお目々がギョロリン、足はニョロニョロ8本も!!。その絵を見た瞬間「なんだこりゃ~?!」と衝撃を受けました。どうしてもどんな生き物か調べたくて、学校の図書室に行って、すべての生き物図鑑をひっくり返して探しました。長い時間をかけて調べ、その中の一冊「水の生き物」でやっと見つけました。「タコ」という海の生き物だと知って「あの、たこ焼きのタコ?お刺身のタコ?」ってビックリ。頭の霧がぱぁっと晴れるようでした。

――小学2年生で図書室に行って調べるという向学心!さかなクンの原型ですね。

はい!自分にとって図鑑は、憧れのカタログでした。しばらく頭の中は寝ても覚めてもタコ一色。直接見たくて、どこで見られるんだろう?そうだ、お魚屋さんに行ってみよう!と、図鑑を片手にランドセル背負ったまま学校帰りにお魚屋さんに直行。図鑑で見た印象よりずいぶん大きく見えるマダコの値段を聞いたら2000円!お小遣いで買えるものではないとガッカリ。でもお母さんの夕飯買い出しに付いていったら、おでんの具のコーナーに小さな小さなタコを見つけ、それは50円!「お母さん!このタコちゃん買って!」とお願いすると「あらイイダコ、いいわね。今夜はおでんにしよっか」と買ってくれました。消しゴムくらいの大きさの小さなイイダコをいろんな角度から眺め、思う存分絵を描きました。

――自叙伝を拝読すると、さかなクンの意向に常に「いいね!」と褒めてくれて、自然体ですし素敵なお母さんですね。

ありがとうございます。自分は学校の勉強はサッパリできなくて、「お魚と絵を描くのが好きなのはわかりますが、学校の勉強もしっかりやるように言ってください!」と、よく担任の先生から母に言われていたようですが、「うちの子はお魚が好き、絵を描くことも大好きなのでこれでいいんです」と答えてくれたそうです。もし、母から「そんなことばかりやっていないで勉強をしなさい!」と頭ごなしに叱られて、好きなことを取り上げられていたら、今のさかなクンはいなかったと思います。

――さかなクンは、お母さんが世の中に送り出してくれたのかもしれませんね!タコから海の生き物全般に関心をもつようになったのは?

元気な姿のタコに会いたくて放課後のお魚屋さん巡りだけでなく、週末になると水族館へ連れて行ってもらって、何時間もタコの水槽を観察していました。でもマダコってなかなか姿を現さない。「タコちゃーん出ておいで!」と待っていると足をニョロニョロと伸ばしてきてまた大興奮。実際に海へ出てタコ探しをしているうちに、だんだん海の生き物全体に夢中になりました。マダコ→ウマヅラハギ→ハコフグとお魚への興味はいっきに加速し、毎日お魚図鑑にかじりついて気になるお魚の写真を穴があくほど見つめて絵を描いていました。

自由にお魚の絵を描き、知識を増やす。

――お魚の図鑑、お魚屋さん通い、水族館通い…とお魚一色で、子どもの頃から好きなだけお魚のことを研究されていたのですね。

お魚の図鑑を眺めているだけで夢心地。持っている図鑑はもちろん、学校の図書室、図書館の図鑑を読みまくりました。一心不乱、無我夢中。週末ごとに通っていた水族館は、もう夢のような場所。一つの水槽に1時間以上かけて観る親子は珍しかったようで、飼育員さんにも顔を憶えてもらい仲良くなりました。そのうちパネルに書いていない豆知識も教えてくださるようになり、どんどん知識を増やしていきました。お魚屋さん、水族館、海では漁師さん…それぞれの場所にプロフェッショナルがいてたくさん学ばせて頂きました。憧れのお魚と生で会えた時の感動は、やっぱりすギョい!(笑)。

だいすきなお絵かきをする5歳頃のさかなクン

――おうちではお魚をよく召し上がられていたのですか?

お魚一匹をまるギョと買ってもらって、いろんな角度から眺めては、うろこの数、ひれの形、色の濃淡など、細かいところまでできるだけ忠実に描きました。絵を描き終えるとお料理です。お魚を好きになってからお魚のお料理担当に♪さばき方はお魚屋さんへ通っているうちに見よう見まねでしたが…、お魚をまるギョとお水で洗ってビシャビシャにしていました。でも母は手を出さずに失敗を経験させてくれました。

――好奇心の塊。ランドセルを家に置いてお魚屋さんに行くことが一つの遊びだったのですね。

はい!遊びというか夢中でした。小さいころから、好きになると止まらなくなってしまうんです。あの坂を越えたらもっと違うお魚に出会えるかも。となりの街に行けば、もっと大きなお魚屋さんがあるかも。そう思うと心がうきうきして、じっとしていられなくて。小学4年生くらいの頃は、二駅先の街までのほとんどのお魚屋さんやスーパーをかけめぐっていました。小学生時代は今思うと無謀なほど、新しいお魚屋さん、図書館や本屋さんを探し求めて、たったひとり自転車でずいぶん遠くまで走り回っていました。母が毎日、ちゃんと無事に帰ってくるかどうかハラハラしながら待っていたことなど、当時は気づきもしませんでした。

――そんなさかなクンをいつも応援してくれる人が現れたのもスギョイです!

お魚の知識を教えていただいたお魚屋のお兄さんとも、だんだん互角に知識の比べっこができるようになり、逆にお兄さんに教えてあげる回数も増えてきて、それがうれしくてたまりませんでした。毎日学校へはたくさんの図鑑をもって登校。ランドセルに教科書を入れ忘れてしまうこともありました。授業中はノートにお魚の絵を描き、休み時間は図鑑を見たり、絵を描いたり。一日のほとんどをお魚のことばかり考えて過ギョしていました。

言葉にして表現すると夢は叶う。

――お魚漬けの日々だった中で、何か習い事をされていた時間はありましたか?

はい!小学校6年間は剣道を習っていました。夏は暑いし冬は寒いし先生は怖いし、厳しい練習で忍耐力はつきました。お正月に食べるお汁粉の味がおいしくって忘れられず、それを励みに続けられました。それと、2歳上の兄とクラシックギターの教室へ通っていました。一度でも演奏を間違えると「なにやってんの!あなた将来絶対大変な目に遭うよ。ギターだと思って舐めてるでしょ、全部それは同じなのよ!」とビシビシと叱る厳しい先生で、そのたびに怖くてギャ~と泣いていました。兄は練習もちゃんとやっていたのでそんなことはなかったのですけれど。

東京湾の生きものを、さかなクンがナビゲート!絵も解説も素晴らしい一冊。

――満遍なくすべてできるよりも何か一つ好きなことがあって全力を尽くせたのは素晴らしいです。さかなクンが夢を抱いたのはいつ頃ですか?

小学2年生でタコと出会ってからお魚の図鑑は自分にとって片時も離せない宝物。タコに夢中の頃に、こんな素晴らしい図鑑を誰が書かれているのかな?と巻末の著者名を見ると“奥谷喬司先生(東京水産大学)”のお名前がのっています。よくよく調べるとほかの図鑑やタコの絵本にも奥谷先生のお名前が。ある時TVの動物生態番組に出演されていた奥谷先生をお見掛けして「奥谷先生だー!!なんて穏やかでステキな先生!」とますます大ファンになりました。勇気をだして「将来、奥谷先生みたいな立派なタコの博士になりたいです」とファンレターを書いたら、なんと奥谷先生から「日本には、タコの研究者は少ないので、一生懸命勉強してタコの先生になってくださいね」とお返事が届きました。その時にハッキリと、奥谷先生みたいにステキな東京水産大学(現・東京海洋大学)の先生になって図鑑を作りたい!自分が知っているお魚や海の生き物のことをみんなに教えてあげたい!と思ったのです。

――既にその夢は叶えられています。挫折しなかったのは素晴らしいです!

高校2年生の時にお魚のクイズ番組に出演するチャンスがありました。それまでは人から聞かれてお魚のことを話したことはあっても、自分から積極的にお話しすることはほとんどありませんでした。自分のお魚の知識を試したいと思ってアクションを起こしたのは生まれて初めて!そこで優勝した経験は今につながる宝物になっています。
高校卒業時は学力不足で憧れの大学受験も叶いませんでしたが、動物の専門学校へ進学。お魚の仕事に就きたくて、水族館、熱帯魚屋さん、お寿司屋さん、と様々なお魚に関するお仕事をさせていただきました。でもダメダメな失敗ばかりで自分がそうした職業に全然向いていないことを思い知りました。それでも、お寿司屋の大将さまの勧めで、お店の壁に好きなお魚の絵を思いきり描かせてもらえました。それが口コミで広まって、あちらこちらから壁画の依頼を受けて描くチャンスをいただきました。

――好きで続けてきたことが大人になるにつれて開花しているのは、どんな状況でもありのままだからでしょうね。では最後にさかなクンから、道を模索している親や子にメッセージをお願いします。

さかなクンは勉強が全然できませんでしたが、絵を描くのが好きでお魚が大好きなことを大切にしてきました。周りの皆様が応援してくださった事が大きな力となりました。これは今もです。夢中になれるものに打ち込む経験は決して無駄にはなりません。さかなクンは今でも小さい頃と同じようにワクワクしていますし、お魚に会うと幸せになります。でも、まだまだ知らないことばかり。日々お魚に関わる先生やプロの方々から教わることも多く、たくさん学ばせていただいています。
悩んでいることがギョざいましたら、ひとりで抱え込まずに信頼できる人に言葉にして伝えてみてください。もし、夢に向かって行動したり言葉にすると願いが叶うことに近づけると思います。さかなクンもますます頑張ります。

編集後記

――ありがとうギョざいました!さかなクンは奇跡の塊です。好奇心がそのままグングン伸びた奇跡。いつも支えてくれる人が現れた奇跡。憧れのお魚や先生とつながれた奇跡。さかなクンという天才を育ててくださったお母さまがさらに素晴らしい方という奇跡。さまざまな奇跡の重なりは神様のいたずらでしょうか?さかなクンのまっすぐな好きという気持ちが引き寄せたのかもしれませんね。これからも皆の好奇心を刺激してください。益々のご活躍を応援しています!