海辺の道の駅の仮設の直売所でホヤおにぎりとホタテおにぎりに出会った。ここは気仙沼市の南、大谷海岸の道の駅。
震災から5年、2016年6月、海辺の道の駅に流れる時間
ここには白く長い砂浜と松原で知られた大谷海岸の海水浴場があった。砂浜に並行した国道45号線との間には、日本一海水浴場に近い駅と呼ばれたJR気仙沼線の大谷海岸駅があった。道の駅もあった。あったというのは2011年3月11日、建物の2階を超える大津波に襲わた大谷海岸は、駅も海水浴場も周辺施設もことごとく破壊されてしまったからだ。
線路を走る鉄道は復旧することなく、気仙沼線はBRT(バスによる鉄道路線。仮の代行バスではなく、鉄道としてのバス運行)に置き換えられ、国道を赤いBRTのバスが走っている。駅舎があった場所は現在、仮設の道の駅になっている。
道の駅には農産物・海産物の直売所が営業を続けている。直売所は震災の年の夏には仮営業を再開したという。
直販所の隣の「ビーチメモリー」は、震災前から道の駅にあったレストラン。海水浴客でにぎわった震災前、震災による破壊、ボランティアたちに温かい食事を提供したいと営業再開した震災後という時間の流れを経て、いまはフカヒレラーメンやカジキマグロを使ったカレーなど地元の味を提供。昼食時にはたくさんのお客さんが来店している。
道の駅の南側には情報コーナーが建てられている。
無人の施設の中には周辺の観光情報のポスターやパンフレットが並ぶ中に、大谷海岸のかつての姿を示す写真が展示されている。
かつてこの場所にこれほどたくさんの建物が並んでいたとは! 仮設の店舗が並ぶばかりで、海岸線には黒い大型土嚢が積み上げられ、陸側は赤茶けた土色の土地が広がる現在からは想像するのも困難なほどだ。
白砂青松という言葉がぴったりくるパノラマ写真。海辺に暮らす人たちにとって、美しい海が誇りだったことが伝わってくる。
情報コーナーのウッドデッキに立つと、ビン玉の向こうにかつての駅のホームが見える。
道の駅の仮の建物は、大谷海岸の駅に寄り添うようにして建てられていた。
南三陸町側の線路は途中でぷつりと切れる。ここから先は線路の路盤ごと津波に流されたのだという。
ホームの気仙沼側には「WELCOM OYA STATION」の文字。そして、そのすぐ南には献花台も設けられていた。
WELCOM OYA STATION!
直販所で人気のおにぎりを買った。ホヤおにぎりは1個130円、ホタテおにぎりは100円とリーズナブルだった。買ったおにぎりをウッドデッキに飾られたビン玉の上においてみた。
ガラス製の浮き、ビン玉は漁業の象徴。この土地が海とともに生きてきたことの証拠であるとともに、これからも海とともに生きる気持ちの表れでもある。
ラップを外しておにぎりを頬張ると、潮の香りがいっそう増していく。ホタテのおにぎりは、ホタテや野菜の炊き込みご飯にベビーホタテがあしらわれている。ホヤおむすびはホヤの炊き込みご飯と蒸しホヤ。どちらもご飯は地元産のひとめぼれ。まるで餅米みたいにふっくらモチモチしたご飯と、海の食材がよく似合う。とくにホヤおにぎりは太平洋の海の香りが凝縮された絶品だった。
ホームと線路の一部が残された大谷海岸駅に、気仙沼線の列車の汽笛が響くことはもうないだろう。町の姿も一変した。しかし、変わらないものがある。あってほしい。きっとあるということをホヤおにぎりの潮風のような香りが教えてくれる。
5年3カ月前に壊された土地。5年3カ月もたつのに、土色の場所が広がる土地。復興という言葉のむなしさを感じざるを得ない土地。でも、変わらないものがあるということを探しに——
WELCOM OYA STATION!
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