【壊されゆくもの・つくられるもの】幽玄の矢作駅

iRyota25

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大船渡市の盛駅から岩手県内陸の一関を結ぶJR線は、盛駅を出発すると陸前高田駅付近まで内湾や半島部を縫うように走った後、海辺を離れ山あいの路線になる。JR矢作(やはぎ)駅は陸前高田から2つ目の駅。

矢作は、仙台藩の時代から陸前高田と一関を結んでいた今泉街道沿いの集落。生出川の清流にかかる大滝小滝や白糸の滝、気仙大工の腕が光る閑董院など、ゆたかな自然と人々の暮らしの伝統が息づく町。

JR矢作駅はそんな矢作の集落の中心に位置する駅だった。しかし、東日本大震災の影響で2011年3月11日、営業を休止して以来5年3カ月以上、この駅を列車が走ることはなかった。そしておそらくこれからも、この駅にJR大船渡線のディーゼルカーの汽笛が鳴り響くことはない。

線路は草に覆われている。レールが撤去されてしまったところもある。

JR大船渡線は、盛駅から竹駒駅までの8駅と宮城県側の鹿折唐桑駅の合わせて9駅が津波の被害を受けた。矢作駅は駅舎の被害こそなかったものの、大船渡線の盛駅から気仙沼駅までの区間がBRT路線(バス輸送だが、代行バスのように仮のものではなく、鉄道路線としての正式路線)となり、さらに陸前高田から気仙沼までの経路が海側に変更となったため、矢作駅は鉄道駅としての歴史に幕を下ろした。

しかし、大船渡線の線路に沿って道路を歩いていくと、矢作の集落にいまも残る矢作駅に出会うことができる。

この日はやませ(夏の東北地方に吹く東風。沿岸地域に濃霧をもたらす)の影響で、矢作の駅は霧にかすんでいた。

細かい雨粒を含んだ霧のせいで、空気が仄かなクリーム色に光る中、夏の草花が駅のホームを彩る。もう人が利用することのない矢作駅は、植物たちが集う場所。

線路の枕木の間には、なんと松の苗。線路を列車が通ることがないから、ぐんぐん伸びることができるのだ。それにしても、かつては高田松原の潮の香りがする中を走っていたJR大船渡線の、いまや使われなくなった駅に松の苗が育っているとは。

列車が走っていた頃に、どうかした拍子に列車に松ぼっくりが引っ付いて、この地で芽を出したのかも、など夢想してしまった。

実際は、駅のホームにとても元気のいい松の若木があって、たわわに実らせる松ぼっくりからたくさんの松の苗が芽生えたということらしい。それでも、七万本の松の木が失われた後、驚くほどの生命力でたくさんの松ぼっくりを実らせる松があること自体、不思議な力のようなものを感じてしまう。

矢作駅が鉄道駅だった頃の待合所は、いまも健在だ。ドアを引くと施錠されていないドアはすっと開いた。駅の隣に設置された仮設住宅など、地域住民の交流の場として開放されているのだという。

待合所の中にたくさん貼られたポスターにまぎれて、一枚の色褪せたカラー写真が飾られていた。

JRのディーゼルカーが走っていた頃の沿線の風景だった。褪色してよく見えないが、桜の花の満開の頃に撮られたものらしい。

ひと気のない、幽玄さすら感じさせる霧の中に静かにたたずむ矢作駅。

BRTとしての矢作駅は、集落からは少し離れた国道沿いに新たに設置された。

震災前のように、陸前高田方面から矢作駅を経由して気仙沼方面を結ぶのではなく、役所前のBRT陸前高田駅市からBRT矢作駅の間を往復する支線の折り返し駅となった。

鉄道時代の矢作駅はまだ辛うじて残っている。しかしやがて壊されていく運命だろう。ではその代わりに新たにつくられたものとはなんだろう?

BRTの矢作駅? それもそうだが、鉄道駅の矢作駅構内の植物たちもまた、この場所で生命をつくりつないでいる。

壊されゆくものとつくられるもの。クリーム色の霧の中で見せてくれた植物たちの生命のリレーは、人間の営みとは別の次元のものなのか。

誰もいなくても矢作駅の待合所では、今日もホームに咲く花々がガラス窓を賑わわせている。

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