津波被害を受けた地域では、これから先の津波災害に対処するため、各地でかさ上げ工事が進められている。かさ上げとは、他の場所から土を持ってきて土地を高くすること。大げさな言い方をすれば、高い所から低い場所へという自然の摂理に抗って行われる、人類ならではの地球改造だ。
かつて町だった場所を埋め尽くすかさ上げの盛土
もう何年も前からかさ上げ工事が進められ、昨年までは人工衛星から見えるほど巨大なベルトコンベアーで気仙川対岸の山の土を運び込んで積み上げられてきた盛土は、かつて高田の市街地だった場所を埋め尽くしている。
と同時に、盛り上げられてからの時間経過とともに、盛土の一部が崩壊している場所も見られる。同じ岩手県内でも釜石市鵜住居周辺では、盛土した斜面にカバーを掛けている場所もあったが、ここ陸前高田市では、盛土された面積があまりに広大だからか、盛った土砂が流出するに任せられている場所もある。
その一方、こんな盛土斜面も。
盛土の斜面に植物の種を吹き付け、草の根の力で崩壊を防止する法面緑化工事が行われたのだろう、斜面にはふさふさの草が生えている。
海辺の強風のいたずらなのか、枯れ草がよじれて不思議な光景をつくり出す。見た感じ、にこ毛みたいでつい触りたくなる。勝手に「くるくる草」と名付けさせてもらうことにした。
さらに斜面の上の方には、緑化工事のくるくる草とは別物の、自然に生育した植物の姿も。頂上の平原はどうなっているんだろう。にこ毛の草原が広がっているのか、それとも雑草が繁茂しているのか…
想像しているうちに、かさ上げされた盛土の上がどうなっているのか気になってくる。
にこ毛の斜面をそのまま登ることもできなくはないが、国道に面しているこの場所を登るにはちょっとためらいもあった。迂回するように回り込んでみると、斜面の様子は一変して冒頭の崩壊した斜面。意を決してここから登ってみることにした。
雨が降ればちょっとした沢のようになるらしい崩壊地の溝には、大きめの石がゴロゴロしていた。自然の沢と同様だ。斜面の土は特に危険を感じさせない。ざくざくと登ってく。盛土の高さは海抜14mほど。ほんの数十歩で頂上が見えてきた。
赤土と、いかにも流出しやすそうな白っぽい砂地が混ざる斜面にセイタカアワダチソウだのアレチノギクだの、いわゆる雑草が点在している。
斜面の途中から海の方を見ると、国道は眼下に見下ろすほど。第二線堤と呼ばれる防潮堤の高さとほぼ同じくらいの高さだ。
標高14メートルの異境
そして登りつめた頂上は、
一面に白い砂が広がる不思議な世界だった。
土地の高低差が大きく気候が湿潤で、しかも面積が狭い日本の国土では、真っ平らな土地が自然につくられることはほぼない。微妙なりとも斜面や高低差がある世界を見慣れた目には、常ならぬ光景だった。海外で真っ平らな大平原や塩湖なんかを見た時に思わず「わあ」と言ってしまう感じに似ているのだが、「わあ」と声を上げた瞬間に、なんと言うか、何か違う感覚に包まれてしまう。
登り坂は岩や土が混ざったいわゆる不通の斜面だったのだが、頂上の土は踏んだ感触も普通ではない。細かな泥の粒子はたぶん雨で流されてしまったのか、頂上部分の足下には白っぽい砂が広がるのだが、歩くと妙にふわふわする。なんだか少し浮いているような感じなのだ。歩くうち、どこかにアリ地獄のような流砂があってもおかしくないと、一歩一歩を確認しながら歩いたほどだ。
測量機器で水平に整地された場所なのに、それでも頂上の平地には水の流れた跡が見られた。その水の流れが、盛土の頂上のこの世とは思えない景色や歩き心地を作り出しているのかもしれない。
それにしても、なだらかに傾斜した遠くの山並みと、ただただ平らな盛土の間に感じられる隔絶したものは何なのだろうか。人間が最新鋭の技術を駆使して作った真っ平らな土地だからこそ違いが際立つ、というだけではないのかもしれない。
かさ上げ工事が進めば、この場所は新しい陸前高田の町として整備されることになる。しかし、この場所は——
盛り上げられた土の下には、津波で流されてしまった町があった。この場所で、いま足を踏みしめているのとほぼ同じ高さ、14mの津波によって命を奪われた人がたくさんいた。生活のすべを失い、いまも大変な思いをしている人たちがいる。そのことが、目に見えるもの、地面を踏む足から伝わってくるものを尋常ならざるものにしているのかもしれない。
かさ上げされた盛土の上からの光景
いつでも登ってこれる場所ではないので、周辺の写真を撮影させてもらってかさ上げの山を下りることにした。
盛土の山の内陸側には、高田高校の校舎とキャピタルホテル1000が見える。盛土よりも明らかに標高は高い。
盛土の北側には地域の人たちがよく使う県道が見下ろせる。この道も近いうちにかさ上げされることになるだろう。
昨年完成した中田の災害復興公営住宅は盛土とほぼ同じ高さ。
震災遺構として保存されることになっている下宿定住促進住宅1号棟に記された津波到達高さの表示は、盛土よりも高い場所のように見える。
盛土の小山の真ん中辺りに、工事用の杭が残っていたが、すでに何が表示されていたのかは読めない。
白い砂漠のような盛土の上には、シロツメクサの群生が何カ所もあった。
震災の年、津波被害にあった土地には名前も知らない真っ赤な草がたくさん生えた。そして翌年はセイタカアワダチソウ。震災の2年後には津波被災地の白い砂の上にシロツメクサの大群生があった。陸前高田の町なかにもシロツメクサがたくさん生えていた。
かさ上げから数年、白い砂が広がる盛土の小山の頂上に、あの頃と同じようにシロツメクサが群生をなして生えている。何か、意味か理由があるのだろうか。
津波に襲われた町を覆うように盛り上げられたかさ上げの盛土。やがて新しい町として生まれ変わる土地。時間を3年分くらい巻き戻したかのように見えるシロツメクサ咲く土地。ここにも2016年という時間が流れている。やがてこの場所も、現在の姿を思い出すことができないほど様変わりすることになるのは間違いない。
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