福島県の浜通り、富岡町の県道沿いの住宅地を走っていると、帰還困難区域としてバリケードで閉鎖された場所から少し離れた場所では、外壁に足場を組んで作業が進められている家が何軒かあった。案内してくれた地元の方の話では、「桜が有名な夜の森駅の周辺とは違って、この辺りは避難指示解除準備区域ですからね」とのこと。近いうちに住居に戻るために、外壁の塗装などの工事をしているのだろうかと早合点していたら、
「除染ですね」と追加の一言。その言葉で車内の温度が一変する。
すでに除染で線量が下がった家に帰宅する準備が、ようやく始まったのかと思い込んでいた。足場が掛けられた住宅は、比較的新しく見えるお宅が多かったので、同行したメンバーの間にも「ともあれ戻れる見込みが立ったことはいいことだ」という安堵するような空気があった。しかし、まだ除染の段階なのだ。
除染というと、まるで魔法のようなマシンが登場して、放射性物質を無害化してしまうように考えている人もいるかもしれないが、壁や屋根、そして雨樋や庭石などの塵埃などをかき集め、表土を除去し、場所によっては雑巾などで拭いたり、水で洗浄したりする人力に頼ったローテク作業だ。掃いたり水拭きして放射能が消えてしまうわけではない。除染は放射性物質による汚染を除去するのではない。単純に別の場所に移動させるということでしかない。しかも、その効率も決して高くはない。
いったん除染が終わった場所でも、時間の経過に伴って再び空間線量が高くなる場合もあって問題になっている。複数回除染をやっても思ったように下がらないケースもあるという。それは1軒の住宅だけが除染しても、隣接する家や森林の除染が行われなければ、より広い環境での放射性物質の総量は大きく変化しないからだといわれているが、はっきりどんな原因でということは明確ではない。ただ、地元の人たちや除染の作業に当たる人たちはこれまでの経験から、雨樋や庭石のコケ、それから背の高い木の周りなど、線量が高い場所、線量が下がりにくい場所を知っているから、いちおうマニュアルにも従いながら、危ないと思われる場所に集中して作業を行っているそうだ。そして線量計で測定する。目標値まで下がっていればOKとなる。しかし、述べたとおり、線量が再び上昇する恐れがないとは言えない。
除染作業を一回行ったら、それで安心して家に帰れるというものではないのだ。
しかも、森や林、山林は基本的に除染することができない。樹木を伐採し表土を剥ぎ取るしか方法がないので現実的ではないからだ。すると、住居の敷地内の除染が終わっても、周囲に森林があればやはり線量は下がりにくいケースが多くなる。
その上、宅地付近の除染で出た汚染物が入れられたトン袋(フレコンバッグ)も、宅地周辺に残されている。
トン袋は、除染作業が試験的に始まった原発事故2年目の頃から、作業が行われた住宅のすぐ近くに積み上げられていたが、その状況に抜本的な変化は見られない。住宅のすぐ側にあったトン袋が集落ごとにまとめられて、それがさらに大きな仮置き場に運ばれるといった小さな移動は行われているが、町村の境界を越えての中間貯蔵施設への移送は今月になってようやく試験運用が始まった段階だ。
黒いトン袋が積み上げられた仮置き場には、「架空線注意」とか「埋設物注意」というノボリ旗が立てられている。わざわざノボリ旗を立てるのは、注意を喚起する必要があるから。つまり、注意を要する作業が行われる工事現場だということを意味している。
架空線注意はクレーンなどでトン袋を吊り上げる際に「電線等に注意しろ」という意味だ。ではもう一方、埋設物注意はどんな意味なのだろう。ふつう工事現場でこのような注意喚起が行われるのは、地面を掘削する場合だ。見えない水道管や下水管、ガス管や電話の配線を壊さないよう「重機で穴掘る時には注意しろ」ということ。
トン袋の仮置き場は、除染で発生した廃棄物を並べて積んで置いておく場所だ。そんな場所で必要となる掘削作業とは何なのか? まさか、劣化したトン袋から中の汚染物が漏れ出す状況が、すでに常態化していて、こぼれた汚染物を土ごと掘削して片付ける作業だったりするのだろうか? 作業が急に心配になってきた。
以前富岡町を訪れた時にも記事にしたが、富岡町は花が好きな町民がきっとたくさん住んでいた町なのだと思う。東北随一とされる夜の森の桜ばかりでなく、ふつうのお宅の庭にもたくさんの花が色とりどりの花を咲かせる。今年もやはりそうだった。しかし、原発事故から4年以上が過ぎ、庭木が庭を埋め尽くすように生育する中で、鮮やかな花を少し窮屈そうに咲かせている姿には複雑な気持ちにさせられた。
国や新聞の報道では「居住制限が解除される」という言葉が使われるが、これは非常に分かりにくい表現だ。制限が解除されると補償がやがて打ち切られるのだから、実質的には「帰還指示」に等しい。IAEAでさえ基本は年間1ミリシーベルト以下といい、やむを得ない場合は一時的には20ミリシーベルト以下、しかも出来るだけ下げる努力をと言っているその基準値の上限をとって、国は政策として帰還を進める。
住民はみんな不安だ。しかし生まれ育ったふるさとに帰りたいという切実な気持ちも強い。そんな住民の気持ちを利用するかのようにして、帰還が進められていることが腹立たしさを掻き立てる。
県道沿いにはスーパーゼネコン系2社と東京電力の関連会社によるJV(共同企業体)によるスローガンが掲げられている。原発建設に携わってきたゼネコン系と東電の子会社に「負けるな!」と命令されるように言われたんでは堪ったものではないだろう。
帰還に向けての期限を切る政府方針が出されている中、線量が下がるかどうか不安な住宅の除染作業と、畑などに仮置きされた汚染物の移送。そしてふるさとに戻りたいと願う町民たちの帰還に向けての暗中模索。避難指示解除準備区域の思いは行きつ戻りつして揺れ続ける。
西側からICまでは行けますが…
ICより東側・夜の森方面の立ち入りはできないようです
参考までに、よろしければ過去記事もどうぞ。
最終更新: