200億円✕5.5✕3=3,300億円
皆さんは覚えていますか?
4年前、台湾から届いた義捐金は、被災後4ヶ月で200億円を超えました。救援物資の提供、救援隊、医療隊の派遣などを真っ先に申し入れしてくれたのが台湾でした。
200億円✕5.5✕3=3,300億円の計算式を説明します。
台湾は面積3万6千平方キロメートルの九州より小さい島です。
2011年時の台湾の人口は2,323万人、日本の人口は1億2,790万人でしたから、台湾の人口は日本の約5.5分の1です。平均的な年収は、日本の約3分の1くらいです。ですから、日本に送られた200億円という金額を台湾での価値に置き換えて考えると、3,300億円もの経済的な価値を持つ金額といえます。
台湾と日本との間には、国交がありません。日本の政府は国家としての台湾という存在を一切認めていないからです。
上記リンクを見ていただければわかりますが、台湾は、外務省のHP上でも、国ではなくその他の地域としてカテゴリーされています。
その国交のない台湾から、日本に対して、被災地に対して、世界でも突出した支援が届けられたのです。世界中から寄せられた救援物資や義捐金の集計額175億円に対し、台湾からは、単独で200億円超もの義捐金が届いているのです。
台湾からの支援の状況とその後の日本(国家、民間)の対応を振り返ってみましょう。
馬英九総統は「日本側の要請を受けたら、すぐに救援隊を出動したい」と語り、要請があればいつでも援助隊を出動可能な状態に待機させた。中華民国外交部は11日、大地震に遭った日本政府に30万台湾ドルの義援金を送ることを表明。翌12日には、1億台湾ドル(約2億8000万円)に増額した。13日には被害の拡大により、被災地に援助隊を派遣することを表明。同総統は演説で、日本が1999年9月の台湾中部大地震や2009年8月の南部台風災害で台湾を支援したことに触れ、「我々も同様に積極支援する」と語った。台湾の救助隊28人は3月14日午前に台北市内の松山空港を出発。同救助隊は日本に到着の後、自力で被災地に入り、救助活動に当たる計画を立てた。台湾は11日に派遣の用意を表明していたが、日本側の待機要請により、各国の救助隊が日本入りする中、丸2日間の待機を余儀なくされた。台湾側外交関係者は日本政府の中国の立場への配慮を示唆している。
また、親日家として知られる李登輝元総統は3月12日に、日本語で「日本の皆様の不安や焦り、悲しみなどを思い、私は刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じている」、「自然の猛威を前に決して運命だとあきらめず、元気と自信、勇気を奮い起こしてほしい」と励ましのメッセージを寄せている。
物資支援として、発電機688台、毛布1,599箱、寝袋2,587箱、スリーピングマット236箱、衣類(防寒着等を含む)4,488箱、食品16.5トン及び9,444箱、ストーブ900台、マスク404箱、カイロ150箱、飲料870箱、手袋42箱、暖房器具53台、マットレス33箱、粉ミルク895箱、マフラー21箱、ナプキン10箱、枕16箱、キルト408箱、ティッシュ20箱、トイレットペーパー30箱、懐中電灯3箱、タオル48箱、納体袋24箱を宮城県、福島県、岩手県、新潟県、山梨県に提供。
3月17日・18日には、チャリティー番組「相信希望 fight&smile」と「送愛到日本311震災募款晩會」(日本の311震災に愛を送る夕べ)が放送され、8億9000万台湾ドル(約24億3000万円)が集まった。3月21日時点の義捐金の合計は15億台湾ドル(約41億円)以上に達し、4月1日には100億円を突破した。これは同時期に米赤十字が発表した同国の金額を上回る。4月15日には140億円を超え、世界各国中、最多となった。その後、200億円以上となった。
4月11日、日本政府は台湾への特別メッセージを込めた菅直人首相名義の感謝状を、実質的な在台湾の日本大使館として機能している財団法人交流協会を通じて馬英九総統、呉敦義行政院長、楊進添・外交部長に送った。4月29日、日本政府は東日本大震災の義捐金活動などで貢献した台湾人4名(エバーグリーン・グループ総裁・張栄発氏ら)に対して叙勲を行った。また政府が米国や中国などのメディアに感謝広告を寄稿した一方で台湾の新聞には実施しなかったことについて日本人デザイナーが広告掲載を呼びかけ、5月3日に台湾主要新聞2紙に掲載された。
情報を補填し、時系列で整理します。
1) 2011年3月11日、台湾の馬英九総統から、被災後すぐに支援表明を受ける。こ
の時、台湾は救援隊派遣の用意を表明。
2) 日本は台湾の救援隊の派遣に対し、待機を要請。
3) 3月12日、羽田空港に韓国の救援隊到着、高橋千秋外務副大臣が出迎え。
台湾の李登輝元総統から日本へ励ましのメッセージ。
4) 3月13日、羽田空港に中国の救援隊到着、伴野豊外務副大臣が出迎え。成田空港
にはドイツ、スイスの救援隊が到着。
5) 3月14日、羽田空港に台湾の救援隊が到着。自力で被災地に入り、救助計画を立
てる。
6) 3月17日・18日、台湾はチャリティー番組を放送し、義捐金を募る。台湾からの
義捐金総額は、4月1日に100億円突破、4月15日140億円、その後200億円、250
億円へ。
7) 4月11日、日本政府は海外各国の支援に対する感謝状を発表。感謝状はウェブで
公開されたほか、米英仏中露韓の主要紙と国際英字紙の計7紙に新聞広告で掲載。
しかし、世界各国で最多の義捐金を寄せた台湾に対して、新聞広告をださなかっ
たことに日本国内のネットユーザーから批判の声が上がる。
8) 巨額の支援金を寄せた台湾に対するお礼広告が含まれていないことを知り残念に
思った一人の日本人デザイナーが、Twitterで「台湾にお礼広告を出したい」とつ
ぶやき、応援者が拡散。
9) 4月14日、趣旨とルールを明確するために専用ブログ『謝謝台湾計画』を立ち上
げ、『所得水準や人口規模からみても破格の義援金を寄せてくれた台湾の人たち
にお礼をしたい。日本はきちんとお礼をする国でありたい』という信念を貫き、
メッセージを出し続け、募金を募る。
10) 4月16日、台湾外交部は、馬英九統、呉敦義行政院院長、そして外交部部長宛
に菅直人首相と(対台湾窓口機関)日本交流協会の今井正代表からの感謝状が届
いたことを明らかにし、台湾市民に対する日本人の心からの感謝の気持ちが伝わ
ったとコメントした。
11) 4月29日、日本政府は東日本大震災の義捐金活動などで貢献した台湾人4名に対し
て叙勲を行う。
12) 5月3日、『謝謝台湾計画』で集まった資金により、台湾主要新聞2紙(聯合報、
自由時報)にお礼の広告を出す。同プロジェクトには、募集開始1週間で、6,000
人以上から総額19,369,686円が出資金として振り込まれ、新聞広告費の残りの資
金を被災地へ募金。
13) 2012年3月12日、東日本大震災一周年追悼式典で、指名献花(各国の大使館の献
花、各国際機関の献花)から台湾を外し、一般席(日本の企業や団体などの参列
席)に座らせる。
14) 3月13日、追悼式典での台湾に対する冷遇を由民主党の世耕議員が、国会(衆議
院予算委員会)で追求。野田総理と藤村官房長官が謝罪。
15) 11月16日衆議院解散。12月26日安倍内閣誕生。
16) 2013年3月8日、第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)第2次ラウ
ンド「日本-台湾戦」(東京ドーム)で日本の観客席から台湾に感謝のプラカー
ドが掲げられる。
(中文字幕)2013.03.17-WBC台湾戦の奇跡_円陣_お辞儀の秘密
YouTube
2013年3月8日東京ドームで行われたWBC第2次ラウンド初戦、日本-台湾戦。この試合に向けて、試合を観戦に行く人に、台湾に対して感謝の意を観客席からプラカードを掲げて表してほしいとTwitterで呼びかけが始まっていた
17) 3月11日、東日本大震災二周年追悼式典に、台湾代表を外交関係者として招待す
るとともに指名献花の対象へと待遇見直し。これに対し中国は、外務省公式サイ
トで「台湾の関係者を外交使節や国際機構と同等に扱った」として不満と抗議を
表明し式典を欠席。韓国も理由不明のまま欠席。NHKは、なぜか献花の模様を中
継しないという対応をした。
日本人としてまだまだできることがある
Twitterから始まった『謝謝台湾計画』での感謝広告。そしてまたTwitterで拡散し
たWBC日-台戦での台湾へ感謝を表す数々のプラカード掲示。こうした個人の声かけから始まった活動の輪が広がったおかげで、日本人として本来忘れてはならない「礼」を尽くすことが出来たこと、「モヤモヤ」していたものが少しスッキリできたことに、たくさんの日本国民が胸をなでおろし、感謝しているのではないでしょうか。私もお礼を言いたいと思います。本当にありがとう。
日本と国交がない台湾ですが、その台湾の人たちが日本の国家の事情を理解してくれていることで、良い関係が成り立っているのだと思います。
2013年に日本に来た外国人旅行客は台湾からが221万人で、国別では第2位で、全体の21.3%を占めています。実に台湾人口の約1割が、日本へ来ていることになります。この年の日本から台湾への旅行者は、142万人です。
まだまだ感謝の方法はありそうですね。
最終更新:
lingmu
つい先日、台湾好きの友人と「台湾はすごく親日なのに、日本ではまだ親台が弱いね」という話をしたばかりです。この義援金の話だけで終わらずに、多くの日本人が台湾を訪れて、台湾の人たちの”なま”の温かさに触れて欲しいと思います。
iRyota25
震災直後も翌年も、その次の年も、石巻で大槌で台湾の方々はみんなに元気を与え続けてくれています。本当に心から感謝したいし、その気持ちを伝えていきたいと思います。多謝多謝!