静岡県在住の高校の社会科の先生で、生徒たちを募って東北へのスタディツアーを行う熱血漢で、ロシナンテスのサポーターでもある岡田昌人さんのフェイスブック記事に目からウロコが飛び落ちた!
まさに、まさに!
まるごと引用させていただきました。
夏休みの職員室。
三年生のJKが、分からんところを質問に来ている。
原子がどうの、電子が分離して、結合してどうの・・・
まだ若い理科の教員は、なかなか理解してくれないJKに、あれこれ言い方を変え、手を変え品を変え説明するのだが、彼女たちの脳細胞になかなか浸透していかない様子だった。
ふと見ると、昨年12月にスタディツアーに参加した連中ではないか。私はそっと近寄り、背後から、
「おめえら、そこ理解できんと、ヒバクのしくみがわからんぞ」
「あ、そうじゃんね」
とたんに彼女たちの顔が輝いた。あの時、行きかえりのバスや事前学習の中で、参加者には福島の今、汚染の状況は十分手当してある。・・・ほどなく彼女たちは理解に至るであろう。
学びの共同体の佐藤学先生の話が浮かぶ。
基礎を積み上げて、高い段階に至るというのは、長い間教育界がおちいっていた幻想である。
まず何か、解決したいという課題がある。その時初めて子どもたちは基礎(テキスト)に立ち返るのである。
A問題(基礎)がクリアできて、つぎにB問題(応用)に進むのではない。まずB問題からできるようになるのだ。
容易に解決が付きそうもない課題。子どもたちは共同でその課題に取り組む。その過程で彼らは何度もテキストに立ち返り、助け合いながら問題解決に向かうのである。機械的な暗記授業が意味をなさないというのは、ここに原因がある。教師の役目は、課題を提供するだけでいいのだ。
(とはいえ、その課題設定がどえらくむずいんだけどね)
考えてみれば今という時代は、とんでもなく課題設定に事欠かない。
いわく戦争にならないために、いわく、民族同士が仲良くなるためにはどうしたらいいか。いわく、原発をどうするか・・・
危機的な日本と世界だけど、学びの契機はそこら中に転がっている!!ひひひ
岡田先生、今日もいい話をありがとうございます!
●井上良太
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