中越地震から防災を学ぶ(3)

2004年10月23日17時56分に発生した新潟県中越地震で最大震度6強を記録した新潟県小千谷市。その市内にある「おぢや震災ミュージアム そなえ館」は中越地震の教訓を生かし、災害から身を守るための備え方を学べる施設です。

館内の前半では震災当時、避難時の様子を振り返りながら、震災の恐ろしさを体感することができます。

そして、後半は写真パネルや生活用具などが展示されている復旧・復興ゾーンへと進んでいきます。

復旧・復興ゾーン

こちらでは、復興までのさまざまな活動記録を紹介しています。

上の画像手前は、「芒種庵(ぼうしゅあん)を創る会」。

小千谷市の塩谷集落では、家屋の倒壊によって小学生3人が亡くなりました。
そのほかの家も被害を受け、震災後になっても元々住んでいた半数以上の世帯が戻ることができなかったのだそうです。

そのような状況の中、故郷を離れる人々が気楽に戻ってこれる場所を残したいという思いから発足されました。

空き家となってしまった茅葺屋根の民家を再生し、毎週末には誰でも立ち寄れるように家を開放。さまざまな行事も行われています。

パネルに書かれている「復興の種を蒔く」という言葉がとても印象に残りました。

また、こちらでは小千谷の名物である角突き(闘牛)の牛、錦鯉それぞれの復興までの取り組みも紹介されています。

応急仮設住宅

震災の被害を受け、自宅に住めなくなってしまった人を対象に小千谷市では870戸の応急仮設住宅が建てられました。震災後、1か月~1か月半までに完成し2,000人以上の人々が暮らしていたといいます。

建設場所は、上下水道・電気等のインフラを整備しやすいことが絶対条件になるため、学校など公共施設の敷地内や跡地、公園など。当震災では被災地域全体で3,460戸が完成しました。

こちらでは仮設住宅の部屋を見学できます。

ところで、左上の画像では天井にペットボトルが吊るされています。なぜでしょうか?

答えは結露対策です。

新潟は豪雪地帯であることから、積雪に耐えられる強い構造の建物だったそうですが、プレハブ式の住宅では結露によって天井に水滴がたまりポタポタと下に落ちる状態が続いたといいます。

細かいことではありますが、こうした生活の知恵は今後役に立つことだと感じました。

中越地震ではプレハブ式の建設型だけでなく、借上型仮設住宅も利用されました。いわゆるみなし仮設のことで自治体が借り上げた民間の賃貸住宅や空き家に入居する仕組みです。

みなし仮設住宅
大規模な災害が発生した際、地方自治体が民間賃貸物件や公営住宅、空き家などを借り上げて被災者に提供する応急仮設住宅。各自治体が毎月の賃料、共益費、管理費、火災保険等損害保険料などを負担する。

引用元:災害後の住まいとなる応急仮設住宅の制度とその実状とは? | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】

基本的に被災地の地域内や近隣地域に建てられる建設型と違い、借上住宅は地元から離れてしまうケースもあるため、住宅戸数と実際の利用者数に大きなギャップがあったともいわれています。たとえ同じ市町村内であっても生活環境が変わってしまうことに抵抗があったり、部屋の広さが希望と合わなかったり等、中越地震ではニーズの不一致が課題として挙げられています。

仮設住宅に関して、自分が住む静岡県ではこんなこともいわれています。

県は第4次地震被害想定で、南海トラフ巨大地震が発生した場合に県内で自宅が全壊・焼失した被災者に提供する仮設住宅は、プレハブなどの「建設型」と「みなし仮設」の合計で最大約11万3千戸が必要と試算。うち4万6520戸は建設型を予定している。県によると、県全域では建設型約5万7千戸分の用地を確保できる計画だが、市町単位では地域の需要に見合う敷地が調達できないケースもあり、課題の一つとなっている。

引用元:みなし仮設、浸透進まず 最大6万戸必要→2千戸前後 静岡県内|静岡新聞アットエス

県内だけでも11万戸以上。震災後の状況によっては利用できない敷地も考えられますので、いずれにしてもみなし仮設の計画が大幅足りていない状況であることがわかります。(ちなみに東日本大震災で宮城県が整備した仮設住宅は約4万4千戸)

個人として、災害時はまず生き抜くこと(自助)が最優先ですが、このようにその後の生活に関しても考えさせられる展示ゾーンでした。