「あいさつするのが当たり前」の空気を持ち帰りたい

私は、かみさんの実家が千葉の内陸部にあり、今も年中畑仕事を行っているので毎月一度は家族でお手伝いをしに行きます。

昔ながらの田園風景が広がる美しいところで、帰るたびに緑に囲まれてどこかほっとします。そして、もう一つのある理由でも「ほっと」いたします。

それは、「すれ違う人みんながあいさつをしてくれる」ということです。

美しい田園風景です。

かみさんやお義母さんと一緒にいるときはもちろん、私が一人で犬の散歩をしている時でも、はじめてすれ違う方が必ず目を見てあいさつをしてくれます。

今自分が住んでいる地域では、こういったあいさつのやりとりがめっきり少なくなっていることに毎度気づかされます。

私が小さいころ(30年以上も前ですが・・・)、近所で遊んでいたときに通りかかった近所のおばちゃんやおじいちゃんにあいさつをされた時のことを思い出して非常に懐かしくなりました。

なぜここではみんながあいさつしてくれるのか?

ある日、かみさんに小学生のような質問をぶつけてみました。

「どうしてここの人達はみんな、自分にあいさつをしてくれるの?」

かみさんがこう言いました。

「ここは集落でほとんどみんなが古い顔見知りだから、当然お互いにあいさつをするよ。知らない人と出会っても、歩いてきた方向から○○さんところのおむこさんかな、みたいな推測をしてやっぱりあいさつする。失礼があってはいけないし。それに、声をかけることで怪しい人かどうかも判別できるよ。いずれにしても、当たり前のことって体にしみついてるよ。」

当たり前の事ー。

その通りだと思いました。ここに住んでいる人たちは当たり前のことを行っているだけ。それなのに自分は懐かしくも新鮮に感じています。その感覚は、まるで昔にタイムスリップしたような。

ここでは、だれかれ構わずあいさつをしたくなってしまいます。だって、みんなが例外なくさわやかに返してくれるから。

実家のようなつながりを作り上げていくために

「あいさつをする」ことはたくさんのメリットがあると思いますが、1番はなんといっても笑顔でお互いがあいさつを交わすだけで嬉しい気分になることです。

この実家の「あいさつするのが当たり前」の空気をどうにか自宅へ持ち帰れないものでしょうか。当然自分の住んでいる地域のつながりは、実家とは比べ物にならないほど薄いものではありますが、そんなつながりを深めるためにもあいさつは最も基本的な行動だと思います。

それが積み重なっていくことで、強くあたたかい結びつきができるのではないでしょうか。

まずは自分が率先することから始まるのかもしれませんね。