【シリーズ・この人に聞く!第134回】旅行エッセイスト 森優子さん

個人旅行や子連れ旅を楽しむ術を熱く伝授する森優子さん。イラスト付きのエッセイが抱腹絶倒で旅に及び腰の人でもうっかり日本を脱出したくなってくるのが不思議です。旅を核に、日本の文化や物事の捉え方、そして言葉のもつ力について幅広く見識をもつ森さんが、どんなご幼少を過ごし、何をベースに旅をするようになったか?子育ての心得もお聞きしてみました。

森 優子(もり ゆうこ)

1967年大阪府堺市生まれ。大阪芸術大学美術学科卒。ガイドブック『地球の歩き方』などの編集ライターを経て93年独立、イラストも含めた執筆活動をスタート。著書に『旅のそなた!』(旅行人)、『旅ぢから』(幻冬舎)、『買ってよかったモノ語り』(晶文社)他。『女性のためのトラブル知らずの海外旅行術』(晶文社)は台湾と韓国でも翻訳出版。イラストと写真満載、軽妙な語りで展開するトークショーのファンも多い。東京在住。モットーは「私の旅をしくじってたまるか」。

優秀な良い子が自我に目覚めるまで。

――森さんのおもしろさは本を読んでも堪能できますが、やっぱりライブのしゃべりが個人的にはピカイチです。幼少期からユニークなお子さんでしたか?

実は、私はいわゆる世間でいうところの『ちゃんとした良い子』でした。実家のある大阪府堺市はベッドタウンで小学校のクラスが1学年11クラスもあった時代。私は何もしないでも勉強ができて、できないのは運動だけ、お絵かきや作文もこんな風に書けば先生も喜ぶだろうとわかっちゃってるような子でね。とはいえそんな自分を気に入っていたわけじゃないんです。2歳上の姉はスポーツ万能で、姉妹タイプが違いましたが、同じ中高一貫の女子校に通いました。

大学に入った娘は友だちと旅立つようになった。子連れ旅は期間限定のお楽しみだったとしみじみ。行っておいてよかった。

――女子校育ちとは意外でした。中学受験をされて進学なさったわけで?

母が自分の出身校に娘を行かせたかったようです。姉は泣きながら受験勉強して合格しましたが、私はスルスルっと2番の成績で入学。小6の頃に家庭教師の先生が間違えてかなり難しい問題集を買ってきて、能力以上の勉強をせざるを得なかったので成績が上がった(笑)。中学時代、すごくわかりやすくノートをまとめるのが得意で、テスト前は私の絵付きノートが珍重されました。クラスの違う知らない子も、みんなが私のノートのコピーで試験勉強してるって感じで、今でも同窓会で「あなたのおかげで卒業できた」って感謝されるんですよ(笑)。高校2年生の時に先輩から立候補を命じられて、生徒会長に選ばれ就任。当時からわりと話術はたけていて、スピーチが受けたんですよね。でも何事も自ら積極的にトライして熱く活動するというより、褒められるし望まれるからやってみる、というスタンスでした。話術や知識のベースは「大人から誉められるから本をいっぱい読んだこと」と、あと、関西で宝塚歌劇が身近にあったことも影響してるかもしれません。世界の文学・歴史・音楽がぎっちり詰まっていて、第一部の芝居では平安時代、第二部のショーではブロードウェイやリオのカーニバルに飛んじゃうみたいな世界でしたから(笑)。

――勝手ながらスポーツ万能でやんちゃなイメージがありましたが、森さんはいわゆる優等生でしたか!

もともと「いい子ちゃん」で、子ども時代に子どもらしくできる子のことを「いいなぁ」と思って眺めていたような子でした。どういう作文を書くと、大人が喜ぶのかがわかっていたし、絵も自由奔放に描くよりも「上手だね!」と褒められるものを描いてしまう子でした。幼稚園の頃、『裸の王様』をお絵かきする時間があって、レンガ造りのお城に髭の王様をうまく描いたら、先生は私の絵と、大らかな丸い線で元気に描きなぐったようなA子ちゃんの絵と両方持ってクラスのみんなに見せて「どちらがいい絵でしょう?」と聞いて、みんなが「ゆうこちゃんの絵!」と言ったら「違います。A子ちゃんのほうがいい絵です」とおっしゃった。私は全然悲しくなくて、ああ、この先生はわかっているな~と感じたのを子ども心に記憶しています。今ならこういう教育は、大問題になりそうですけどね(笑)。

――ビックリなエピソードです!その頃から、やはり絵が好きで大学は美術系へ進学なさった?

母方の祖母が日本画を描く人で、多少なりとも影響を受けて、私も絵だけは小さな頃から得意でした。何の迷いもなく「グラフィックデザイナーになる」と思っていたので美大を目指しましたが、実はグラフィックデザイナーがどんな仕事かの説明もできないくらい知らなかった(笑)。デザインをするには基本のデッサン力が必要だということで、美大予備校で人物画1000本ノックもやって死ぬほどデッサンを叩き込まれました。それは今になって本当によかったと思う。デッサンは、すべてのものづくりの基本。たとえアニメ好きやペンタブレットのようなIT機器で絵を描きたいという子でも、絶対に鉛筆で描くデッサンを学んでほしい。「ものを多角的に見ること」が身につくし、「鉛筆を削る」という行為そのものが大切なんです。でも受験を越えて目標を達成した大学入学後、「こんなはずではなかった…」と、初めての挫折を味わうことになりました。それまでは順調な人生だったのに、大学で何をどうすればよいものか、アイデンティティーがわからなくなってしまった。将来のイメージが描けずに焦ったのです。

かっこいい大人の背中を追ってきた。

――森さんの意外な面をたくさんお聞きできて楽しいのですが、旅好きになったきっかけは何でしたか?

私、中1の頃からチューリップというバンドのギタリスト安部俊幸さんの大ファンで、彼の書いた『ひとりぼっちのアメリカ見聞録』という本で旅のおもしろさを知りました。グレイハウンドという路線バスで西から東をアメリカ横断したエッセイで、ツアーでなくとも旅ができるんだ!と驚いて、私も安部さんとまったく同じ体験がしたい!という思いが強まったんです。私の体の90%はチューリップでできているといえるほど(笑)かっこいい!と思う初めての大人が彼らでした。ミーハー精神で彼らが好きとか良いと言っていることは、とにかく真似てみた。例えば「映画『ブリキの太鼓』は名作だ」といわれれば、500円玉を握りしめて映画館へ駆け込み、「ど、ど、どこが名作?」…と引きつつも、右へならえ。かっこいい大人の背中を追っかけることから始まりました。お小遣いを貯めて買った雑誌やアルバムの歌詞カードは、隅から隅まで暗記するくらい読みましたねぇ。コンサートチケットも始発電車に乗って大阪中央郵便局から現金書留で申し込んだり。他は常に良い子な分、親も渋々それだけは許してくれました(笑)。

娘5歳 スイス。政府主催のファームステイで憧れの干し草小屋での寝泊りを体験、大興奮。

――そのエネルギーは当時からのものでしたか!ググって知ったつもりになる…というのがなかった分、其処に行って体験するしかなかったですもんね。

言語の使い方ひとつにしても、安部俊幸さんのエッセイの影響をすごく受けたし、チューリップのリーダー・財津和夫さんのエッセイで「こどもには愛がない」という言葉を読んだ時も衝撃を受けましたね。子どもは自分のことしか考えていない。自分の気持ちがまず最優先で、でもやがて他者とのかかわりが持てた時、はじめて愛が生まれる…という理屈です。子どもは純真無垢、素朴…という言葉はよく聞きますが、財津氏の言葉はつまりちゃんと子どもを子どもとして見る視点。「あなたが好きなようにすればいいわ」「あなたには悪気がないって信じてる」と、ややもすると子どもが尊重され過ぎている今の時代、彼の言葉は真を突いている気がします。

娘9歳 インドヒマラヤ標高3980メートルにて。

――それは、子どもの育て方や、習い事への考え方にも通じる言葉ですね?

親の指示で習い事を始めたような子が私の頃はほとんどで、逆に言えば、自分で決めることをあまり強いられなかったから、のほほんと子どもを満喫できた。今のように「お母さんあなたの好きなことを応援するわ!」とあんまり早くから言われちゃっても、本当に好きなことは子ども時代には掴めないものではないかなぁ?と思います。私は小2からお習字を2年位と、小1からピアノを4年位習っていました。姉はどちらも上手にできる子でしたが、私は両方とも向かなかった。お習字は文字の横に絵を描いて、それに丸をもらっていたくらい。基礎にひととおり触れ、自分の不得意がわかる通過儀礼として経験できたのはよかったと思います。

――お子さんにはどんな習い事を?森さんはどんな教育方針をお持ちでしたか?

周りの子に比べて、かなり習い事も少なかったですが、娘には通過儀礼ということで小1からピアノを。保育園時代から近所の英会話教室に週1回。中学入学後は英語の多読に通っていました。英語教育については私なりにこだわりがありまして、日本語でコミュニケーションが取れて、ゼロから英語を体得した経験がある先生であること、つまり日本人に教えてもらうことを大切にしていました。英語の多読はボキャブラリーが増えて世界が広がるから、おすすめですね。
親は、子供にとって、もっとも縁のある大人です。私は娘にはこうなってほしい、ああなってほしい…という願望は特になくて、ただしいちばん身近で縁のある大人としての責任は果たそうという気持ちはありました。子育てに信条があるとしたら4つほど。

・1. 自分がしてもらってうれしかったことはしよう。
・2. 天井を見上げてボーッとする時間を奪わない。
・3. ちょっと我慢する枯渇感をプレゼント。
・4. 鉛筆だけはカッターを使って自分で削れるように。

子連れ旅行は期間限定のお楽しみ。

――ご自分が育ってきた時間を全部肯定できるのは本当に素晴らしいです。やはり子連れ旅行の経験は大きかったのでは?

生後7カ月頃から小学生いっぱいぐらいが親子で旅できる限定期間だと思っていて、自分はそれを満喫できたなあと思います。限定期間は案外短い。中学以降になると友達と出かけるようになって、子供自身の社会のほうが広がっていきますもんね。娘は3歳に行ったインド旅行が最初の記憶にあるようです。インドなんて子連れで行く国ではないという思いこみがあったので、石橋を叩き割る勢いで調べて準備したんですが、旅行中は私が娘を一度も抱っこしなかったくらい、現地の人がよくしてくれて極楽でした。アジアは子どもに対して寛容で、旅も楽。一方でヨーロッパも楽だったのは、はなっから子どもと大人の世界を分けているから。日本は、その境界が曖昧だからしんどいのかも。

娘3歳 インド。人々の親切に包まれて親子ともに楽ちんでハッピー。

――限定期間に12、3カ国も親子で旅されてきたようですが、どこが一番印象的でしたか?

娘が5歳の時のスイスですね。トラベルデザイナーのおそどまさこさんが親子でスイスに行ったエッセイを読んで、カッコいい!と憧れて、まず娘をビデオや本で「アルプスの少女ハイジというのがいてな…」と洗脳するところから始めました(笑)。「ハイジのように緑のじゅうたんを駆け回りたいかい?」「駆け回りたい!」「ハイジのようにチーズを食べたいかい?」「食べたい!」…と言わせたらこっちのもの、旅先で不平不満を言えなくなりますからね。政府が主催するファームステイにも参加。荷物を持つなど5歳でも役割を与えていたこともあってか、よく覚えているようです。

――親子で旅して得られるものは大きいと思います。森さんはなぜエネルギッシュに親子旅をされてきたのですか?

子連れの旅に対する反応は2種類に分かれます。「もう子どもが生まれたから旅行行けないわぁ」とあきらめている人と、「子連れ旅行なんか皆行っているじゃん」と気軽に考えすぎている人。私はどちらに対しても疑問があって、前者も後者も本当にそうなのか?をまず自分で検証してみよう!両者の間を埋めてみよう!…と思ったことが始まりです。