商店街の入り口も鉄人だ。
鉄人のいる若松公園に続く道路に設置された街灯もまた鉄人。
神戸市営地下鉄海岸線では、中吊り広告も天井もステッカーもぜんぶ鉄人プロジェクトという電車も走っている。
鉄人28号のモニュメントは2009年に完成したものだが、設計図や製作過程の写真を見せられると、つい見入ってしまう。新長田の鉄人の造形としてのインパクトがそれだけ強いということだ。
ちなみに鉄人モニュメントを製作したのは、大阪岸和田で70年続く北海製作所。タンクや圧力容器など鏡板加工(鉄板などを鏡餅のような形に加工すること)で日本トップクラスの技術と実績を誇る会社なのだとか。
圧巻は新長田駅の連絡通路に貼り出された「鉄人原寸大」の巨大な広告。歩く人の大きさと比べて、いかに鉄人がでかいかが実感できる。
再開発された大正筋商店街(新長田駅前から続くアーケード街)の「KOBE鉄人三国志ギャラリー」には、鉄人28号モニュメント制作過程のミニチュア模型も展示されている。
このギャラリーは鉄人28号や三国志の生みの親である横山光輝の画業やその時代を紹介する場所だが、関連グッズも販売されている。
大正筋と交差する六間道商店街には、鉄人モニュメントが製作される以前から、動いてしゃべる鉄人が設置されてきた。
レバーを動かすと、鉄人が動きながら渋ーい声で言葉を発する。これがまた物々しい声色でなんとも鉄人らしいのだ。
鉄人のモニュメントを見て圧倒される。鉄人のことをもっと知りたくなって、アーケード街のほぼ南の端にあるKOBE鉄人三国志ギャラリーまで足を運ぶ。ギャラリーで鉄人関連グッズを購入する。もちろん途中の商店街でも買い物してもらえる可能性が高まる——。
年間200万人を超える神戸への観光客の数パーセントでも鉄人で集客できるとすれば、鉄人がまちおこしに一役買っているのは間違いないだろう。
住民にとって鉄人とは?
といっても、新長田の人たちがみんな手放しで鉄人を歓迎している訳ではない。喫茶店を何軒かハシゴしていると、聞くともなく鉄人に対する批判が耳に入ってくる。
「あんなものつくっても…」という声が多かった。「…」の部分には、「まちの活性化にはつながらない」とか「そんなお金があるのなら、ほかに使い途があるだろう」といった言葉がこめられているように感じた。
「シンボルとなるモニュメントをつくるのはいい。それが鉄人でもかまわない。でも、どうして大阪の会社で造ったんだ。なぜ神戸で造らなかったんだ」。ある喫茶店ではそんな話も聞いた。
東北の大震災のシンボルとなった「奇跡の一本松」。その地元の陸前高田でも同様の声を聞くことがある。一本松は全国からの寄付金だけで整備されたものだが、それでもやはり「そんなお金があるのなら…」という気持ちを抑えることができないのだ。
それだけ苦しいということなのだ。震災から5年たった東北でも、21年を経た神戸でも。
たまたま偶然の成り行きで、鉄人プロジェクトを推進しているまちづくり会社でも話を聞く機会があった。
推進するサイドなのだから、悪い話が出るはずはない。鉄人28号を目当てに新長田にやって来る人がいる、ということも事実だが、さまざまなイベントの広場として、鉄人がいる若松公園が使われていることの意義が大きいと、まちづくり会社の宍田正幸社長は言った。
ただ、宍田さんが言う「人に集まってもらうためのシンボル、新長田のランドマークとしての意味」という言葉には納得できるものがあった。それは、宍田さんが続けてこんな話をしてくれたからだ。
新長田が三宮(神戸を代表する繁華街)を目指すというのは現実的ではない。新長田は新長田としての未来を描いていく必要がある。それはアニメや映画、さらにアートを中心とした、新長田ならではの未来だ。若手のアーティストが集う町。若い人たちが、昔からこの町に暮らしてきた住民たちと一緒に未来を目指していける町。人と人の距離が近い下町のような町を、若い人たちを招き入れてつくっていきたい。高齢者が多いのでバリアフリーな、しかしそれはハードとしてだけでなく、町のありようとしてもバリアフリーで、障害のある人たちも住まいやすい町として育っていってほしい。
これまでの新長田とは違う将来の新長田のシンボル。鉄人にはそんな思いが込められてもいた。
宍田さんはまちづくり会社の社長だ。東北の被災地での再開発計画が難航している状況の中、きっと東北に招かれたり、新長田のまちづくり会社として東北を訪ねたこともあるだろうと思い込んでいたら、「残念ながら、というか申し訳ないことなのですが、私自身は行ったことがないのです。ぜひ行きたいと思っているのですが」とのことだった。
この一言に真実があるように感じた。阪神淡路大震災から21年。まちづくり会社の社長として動きたくても動けない状況がいまも続いているのだと。
まちづくり会社のドアを出た先のロビーには、これまで開催されたイベントの写真がたくさん掲示されていた。ダンスパフォーマンスなどさまざまなイベントの写真。そのいくつかに鉄人の足が背景として写り込んでいた。
「復興」
その言葉には、ダメージから回復して、誰もが希望に満ちた未来を歩み出せる希望が溢れているような印象がある。
しかし、誰もがもろ手をあげて大賛成するような復興はありえないことを新長田で、鉄人をとおして教えられた。
阪神淡路大震災から21年、被災地は苦悩の中にある。陸前高田のお菓子屋さんが、復興には100年かかるといった言葉を、神戸の地で思い出した。
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