阪神淡路大震災で大きな被害のあった神戸市・新長田の駅近くに、鉄人28号のモニュメントがある。復興を目指す神戸のシンボルとして建てられたものだ。
新長田に登場した鉄人28号の勇姿
それにしても、この存在感はすごい。圧倒的だ。そして驚かされるのは、どんな角度から見ても、鉄人が鉄人であるということ。鉄人28号は元々二次元で描かれたキャラクターだ。二次元を立体化するとたいていの場合どかか破綻してしまうものだが、新長田の鉄人はどこから見てもかっこいい。
突き上げた右腕も、握り込んだ左腕も、巨大な胴体や両足にも力がこもっている。造形としても、与えられるイメージにも抜けたところがない。
昨年11月に初めて新長田の鉄人28号を見に行ったとき、思わずシャッターを切りまくった。鉄人の「28号」の名にあやかって、28枚の写真で紹介するなんていいながら、けっこう似たようなアングルが多くて、28枚で紹介できなかったので、今回はもっと様々な角度から鉄人の表情を写真に収めようと思っていた。そうしたら、表情やポーズのかっこよさだけではない、さまざまなアングルから鉄人の姿が見えてきた。
今日はそのことをお伝えしたい。まずは、新長田駅近く、若松公園に立つ鉄人28号の勇姿から。
新長田の鉄人28号は鋼鉄製のモニュメントだから動くことはない。それなのに、いろんな角度から見上げると、いまにも鉄人が動き出しそうな気がしてくる。
そしてもうひとつ。特筆すべきは鉄人28号というキャラクター自体が有する、単なるヒーローではない「不気味さ」までもがひしひしと伝わってくることだ。
鉄人28号は手塚治虫の「鉄腕アトム」に続いて発表されたロボットヒーローだ。アトムが人間と同じサイズで知能や意識を持ったロボットとして描かれたのに対して、鉄人はリモコンで操縦される巨大ロボットだ。
鉄人の身長18メートルという設定はガンダムと同じだ。巨大ロボットという点で鉄人は、後のマジンガーZやガンダム、さらにはエヴァンゲリオンの先駆けとも言える。
しかし、マジンガーZもガンダムもエヴァも、ロボットの中に人間が乗り込んでいる。人間の能力を、マシンの力で拡張するという点では戦闘機や戦車と同様だ。生身の人間が乗り込む以上、そこにさまざまな葛藤も生じる。自分が倒すことになる敵にも人間が乗り込んでいること、自分をバックアップする人たちとの間での葛藤などなど。
その点、リモコンで操作される鉄人には人間的葛藤はない。操作する人間が正義の味方であれば悪と戦うし、リモコンを悪党に奪われれば悪の手先にもなる。
現実世界の兵器の歴史が、戦闘機や戦車など自己拡張的兵器の高性能化の次に、遠隔操縦の無人兵器に進み、さらにアトムのような自律的ロボット兵器へ進展しようとしているのと、日本のSFまんがのロボットの登場順が正反対なのは興味深い。それはそれできっと面白い考察のネタになりそうだ。
少々脱線してしまったが、鉄人前交番の辺りから見た鉄人が、「がんばるぞ!」と腕を突き出しているようにも、再開発ビルに殴り掛かろうとしているようにも、そのどちらにも見えてしまうのは、敵でも味方でもない鉄人の本質を示しているようにも思われる。そんな雰囲気まで再現している新長田の鉄人28号モニュメントはただ者ではない。
まちおこしのシンボルとしての鉄人
新長田の駅を出ると、鉄人28号への案内表示がお出迎えしてくれる。商店街や商店のアイキャッチとしても、いたるところに鉄人が使われている。 新長田のまち全体が「鉄人28号のまち」をアピールしているようだ。
商店街の入り口も鉄人だ。
鉄人のいる若松公園に続く道路に設置された街灯もまた鉄人。
神戸市営地下鉄海岸線では、中吊り広告も天井もステッカーもぜんぶ鉄人プロジェクトという電車も走っている。
鉄人28号のモニュメントは2009年に完成したものだが、設計図や製作過程の写真を見せられると、つい見入ってしまう。新長田の鉄人の造形としてのインパクトがそれだけ強いということだ。
ちなみに鉄人モニュメントを製作したのは、大阪岸和田で70年続く北海製作所。タンクや圧力容器など鏡板加工(鉄板などを鏡餅のような形に加工すること)で日本トップクラスの技術と実績を誇る会社なのだとか。
圧巻は新長田駅の連絡通路に貼り出された「鉄人原寸大」の巨大な広告。歩く人の大きさと比べて、いかに鉄人がでかいかが実感できる。
再開発された大正筋商店街(新長田駅前から続くアーケード街)の「KOBE鉄人三国志ギャラリー」には、鉄人28号モニュメント制作過程のミニチュア模型も展示されている。
このギャラリーは鉄人28号や三国志の生みの親である横山光輝の画業やその時代を紹介する場所だが、関連グッズも販売されている。
大正筋と交差する六間道商店街には、鉄人モニュメントが製作される以前から、動いてしゃべる鉄人が設置されてきた。
レバーを動かすと、鉄人が動きながら渋ーい声で言葉を発する。これがまた物々しい声色でなんとも鉄人らしいのだ。
鉄人のモニュメントを見て圧倒される。鉄人のことをもっと知りたくなって、アーケード街のほぼ南の端にあるKOBE鉄人三国志ギャラリーまで足を運ぶ。ギャラリーで鉄人関連グッズを購入する。もちろん途中の商店街でも買い物してもらえる可能性が高まる——。
年間200万人を超える神戸への観光客の数パーセントでも鉄人で集客できるとすれば、鉄人がまちおこしに一役買っているのは間違いないだろう。
住民にとって鉄人とは?
といっても、新長田の人たちがみんな手放しで鉄人を歓迎している訳ではない。喫茶店を何軒かハシゴしていると、聞くともなく鉄人に対する批判が耳に入ってくる。
「あんなものつくっても…」という声が多かった。「…」の部分には、「まちの活性化にはつながらない」とか「そんなお金があるのなら、ほかに使い途があるだろう」といった言葉がこめられているように感じた。
「シンボルとなるモニュメントをつくるのはいい。それが鉄人でもかまわない。でも、どうして大阪の会社で造ったんだ。なぜ神戸で造らなかったんだ」。ある喫茶店ではそんな話も聞いた。
東北の大震災のシンボルとなった「奇跡の一本松」。その地元の陸前高田でも同様の声を聞くことがある。一本松は全国からの寄付金だけで整備されたものだが、それでもやはり「そんなお金があるのなら…」という気持ちを抑えることができないのだ。
それだけ苦しいということなのだ。震災から5年たった東北でも、21年を経た神戸でも。
たまたま偶然の成り行きで、鉄人プロジェクトを推進しているまちづくり会社でも話を聞く機会があった。
推進するサイドなのだから、悪い話が出るはずはない。鉄人28号を目当てに新長田にやって来る人がいる、ということも事実だが、さまざまなイベントの広場として、鉄人がいる若松公園が使われていることの意義が大きいと、まちづくり会社の宍田正幸社長は言った。
ただ、宍田さんが言う「人に集まってもらうためのシンボル、新長田のランドマークとしての意味」という言葉には納得できるものがあった。それは、宍田さんが続けてこんな話をしてくれたからだ。
新長田が三宮(神戸を代表する繁華街)を目指すというのは現実的ではない。新長田は新長田としての未来を描いていく必要がある。それはアニメや映画、さらにアートを中心とした、新長田ならではの未来だ。若手のアーティストが集う町。若い人たちが、昔からこの町に暮らしてきた住民たちと一緒に未来を目指していける町。人と人の距離が近い下町のような町を、若い人たちを招き入れてつくっていきたい。高齢者が多いのでバリアフリーな、しかしそれはハードとしてだけでなく、町のありようとしてもバリアフリーで、障害のある人たちも住まいやすい町として育っていってほしい。
これまでの新長田とは違う将来の新長田のシンボル。鉄人にはそんな思いが込められてもいた。
宍田さんはまちづくり会社の社長だ。東北の被災地での再開発計画が難航している状況の中、きっと東北に招かれたり、新長田のまちづくり会社として東北を訪ねたこともあるだろうと思い込んでいたら、「残念ながら、というか申し訳ないことなのですが、私自身は行ったことがないのです。ぜひ行きたいと思っているのですが」とのことだった。
この一言に真実があるように感じた。阪神淡路大震災から21年。まちづくり会社の社長として動きたくても動けない状況がいまも続いているのだと。
まちづくり会社のドアを出た先のロビーには、これまで開催されたイベントの写真がたくさん掲示されていた。ダンスパフォーマンスなどさまざまなイベントの写真。そのいくつかに鉄人の足が背景として写り込んでいた。
「復興」
その言葉には、ダメージから回復して、誰もが希望に満ちた未来を歩み出せる希望が溢れているような印象がある。
しかし、誰もがもろ手をあげて大賛成するような復興はありえないことを新長田で、鉄人をとおして教えられた。
阪神淡路大震災から21年、被災地は苦悩の中にある。陸前高田のお菓子屋さんが、復興には100年かかるといった言葉を、神戸の地で思い出した。
まちのシンボルの意味
シンボルとしての鉄人への賛否の声を聞いて、神戸の壁のベンチのことを思い起こさずにいられない。新長田の駅近くに残った神戸の壁は、結果的には新しい新長田のシンボルとはされなかった。代わりにこのまちの未来に向けてのシンボルとして、鉄人28号は造られた。
しかし、この鉄人とて未来永劫シンボルとして立ちづけることはできない。
鉄人の恥ずかしいところには穴がある。鉄人を見に来る人の多くが気づくようで、見上げるようにして写真を撮って行く人はけっこう多い。
その鉄人の穴の周辺はすでに錆が始まっている。穴だけでなく、左腕の肘の辺りにも錆が見られる。いかに鉄人とはいえ、鉄でできている限り、酸化、そして劣化を免れるものではない。鉄人は、今後どれくらいの時間、新長田のシンボルとして立ち続けていられるのだろうか。
神戸の壁の壁そのものが新長田から消えた後も、震災を後世に伝えていく象徴であり続けているように、鉄人にはその素晴らしい造形だけでない「魂」を身につけて体現してほしい。
それは、リモコン操縦のロボットだからどちらの側にもなりうるということではない何か。復興というものに多くの意見や考え方の相違があって、必ずしも万人に喜ばしい復興事業など存在しないとしても、それでも共有できる未来を探ること。
それは鉄人ではなく人間の問題だろう。
話はがらっと変わるが、鉄人のすぐ近くの集合住宅の1階には、こんな表示がある。その場所が、かつて古墳時代の居館の跡だったという表示だ。
ここ日吉町2丁目では、震災復興再開発事業に伴う発掘調査で、縄文時代後期から弥生時代前期(2300年前)に、人々が生活を始めていることがわかりました。そして古墳時代中期と平安時代から鎌倉時代(約800年前)の地面(現在の地表下70cm)から人々の生活の痕跡が多く見つかりました。
(中略)
現在私達の生活している地面の下に、過去多くの人々の生活と歴史が刻まれていることを思い浮かべていただき(以下略)
神戸市長田区松野遺跡の説明プレート
この遺跡の説明プレートの反対側には、「ボールの壁に投げないで下さい」との張り紙もあった。新長田のこの土地で現在と遠い過去が交錯している。
鉄人の目に涙はない。それは彼がリモコン操縦のロボットだから敵とか味方とかを判ずることができないからという理由だけではない。(そもそも新長田の若松公園には鉄人はいてもコントローラーはどこにも置かれていない)
鉄人が立つ新長田の若松公園も、70cmも掘れば、縄文、弥生、平安、鎌倉期の人々の暮らしの遺物がわんさか出てくるに違いない。そしてやがて、鉄人もそのひとつとなる。1000年後の人たちが、錆びて朽ち落ちた鉄人の残骸に何を見るのか。
震災の遺構であれ、震災後に造られたモニュメントであれ、ものである限り未来のある時点で朽ち果てていく。ものが朽ち果てた先に人々は何を未来につないでいけるのか。鉄人が背中にしょっているのはロケットエンジンだけではない。
21年を経て震災後がまだ終わることなく続く新長田の町で、鉄人はこれからの100年を、そして1000年を見つめている。
だから、鉄人の目に涙はない。
新長田「鉄人28号」モニュメント関連リンク
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