他にも今すぐに役立つ防災についての知識がありました。
震災だけでなく防災についても学ぶなら、リアスアーク美術館は必須のスポットです。
気仙沼から今日の宿泊地へ向かい海岸線をさらに南下。南三陸町に入るころには日が傾きかける時刻になっていました。
南三陸町の中心でも盛り土がいたるところみられ、道の整備が進んでいます。盛り土を抜けると海岸線に立派な建物が見えてきました。
ようやくホテル観洋に到着です。
3日目(4月11日)
震災から5年と1か月目にあたる、4月11日の南三陸は朝から小雨がふっていました。
ネットで調べると雪が降るという天気予報も!
寒い一日を覚悟していたのですが、朝の語り部ツアーに出かける頃になると晴れてきました。
ホテルの用意した専用バスに乗り込み語り部ツアーに出発です。
平日にもかかわらず満杯のバスは、最初の目的地の戸倉地区へと向かいます。
語り部の伊藤さんのお話が被災当時の大変な苦労のお話に、乗客はため息をつきながら真剣に聞き入っていました。
戸倉小学校の前を通りかかったところでバスは空き地に停車し、戸倉小学校の震災直後の避難についてのお話になりました。
戸倉小学校は海から200mしか離れていなかったのですが、先生の的確な判断で全員無事に逃げれたとのこと。
スピーディーな判断が全員の命を救ったのです。
バスは戸倉小学校を通り過ぎ高台を目指します。
高台には建って日の浅いモダンなつくりの学校が建っていました。
そのモダンなつくりの戸倉中学校は高さ20mの高台でありながら地震発生後グラウンドで待機していたため、津波被害を受けて複数の犠牲者が出てしまいました。
戸倉中学校横には2体のモアイが海に向かって設置されています。
実は「モアイ」の意味は、イースター島のラパヌイ語で「未来に生きる」。
南三陸町の町を未来まで守り続けています。
バスは南三陸の中心部に戻り、結婚式場「高野会館」をバスの中から視察。
最上階まで津波に襲われたが、高野会館のスタッフの機転で利用客を返さず屋上に避難させたため犠牲者がなかったとのこと。
多くの命が救われた戸倉小学校と高野会館。
一方複数の犠牲がでてしまった戸倉中学校。
語り部の伊藤さんのお話によると前者の的確な判断と迅速で避難の裏には、何度も繰り返された避難訓練や、先生同士の繰り返し行われた話し合いが功を奏したとのことでした。
東南海地震のリスクがますます高まっている今、はたして年に数回の避難訓練で的確な判断ができるのか?
小さな地震に耐性がついてしまっている私たちは、防災について改めて考える必要があるかと思います。
最後にバスは防災庁舎前から少し離れた場所に停まりました。
その日は11日という月命日にもあたるためか、NHKのテレビ取材のスタッフが待ち構えていました。
NHKのTVスタッフは冥福をお祈りする乗客の姿を撮影し、乗客の一人にインタビューをしていました。
お線香を手向けご冥福を祈るとバスの中でマスコミが伝えていない、防災庁舎で最後の最後まで避難を叫び続けた遠藤さんと、その上司の三浦さんのお話をされました。
ホテルに戻ってから語り部の伊藤さんに少しお話を聞くことができました。
「私は本当は観光のお仕事がしたかったのですよ。それがね、…」
震災前の南三陸は海と山の豊かな自然に囲まれ、海鮮グルメや湾内クルーズ、キャンプ、里山体験など数々のアクティビティが楽しめる観光スポットだったようです。
街の整備が一段落して、南三陸町が被災地から観光地と再び呼ばれる日が一日でも早く来ますように。
伊藤さんの『観光の仕事がしたい』という願いが早く叶いますように。
着実に南三陸の町も復興への道を歩んでいます。
街は復興途中ですが、海鮮グルメなどのお食事や温泉、サービス素晴らしく久しぶりに本当にいい宿に巡り合えました。
また、ホテル観洋の語り部ツアーは南三陸町で唯一個人の参加できるプログラムとなっています。
語り部ツアーでなくては聞けないお話がとても勉強になります。
ホテルを後にすると海岸線を一路大川小に向かい、さらにさらに南下。
時折咲いている満開の桜に歓声を上げながら、海岸線のドライブを楽しむことができました。
ようやく大川小に到着すると、凍り付くような強風が吹き荒れていました。
2年前に訪れたときは視察の方が複数見受けられましたが、今日はほんの2-3人しか見当たりません。
すっかり人気のない大川小周辺。犠牲となった方々の名前が記載されている祭壇で手を合わせていると、祭壇横の空き地にとまった車から1組の夫婦がやってきました。
そして慰霊碑に書かれた二人の女の子の名前を呼びながら、お線香を手向けていました。
声をかけるのを躊躇していると「どちらからいらしたの?」と女性に話しかけられました。
実はその方たちはこの小学校で犠牲となった孫の月命日のお参りに来たとのこと。当時5年生と3年生でとてもかわいい時期だったとお話されました。
「私たちはここから上のほうに住んでいているんだけど、まさかこんなことになるなんて」
昔からこの大川地区に住んでいる方のようでした。
大川地区は整備が進んでいるのかいないのか、盛り土はされているもののひっそりと静まり返っています。
他の町は工事車両が目まぐるしく動き回っていたのに。
3月末に大川小学校は保存が決まりました。
モダンなつくりの小学校は以前は鳥の住処となっていましたが、寒かったせいか鳥の影すら見えないほど静まりかえていました。
冷たい強風のため早々に大川小を後にし雄勝についたのはお昼頃。
まだ春浅いためか雄勝ローズファクトリーガーデンに人気はなく、
次の目的地のおがつ店こ屋街へ向かうことに。
2年前は明らかに観光客がいたのにその日は平日のためか、客は私たちを除く1組のみと寂しい限り。復
興具合もほかの町に比べ動いている気配が感じられません。
商店街での買い物を済ませ、女川を目指します。
雄勝から女川をつなぐリアスブルーラインと呼ばれる海岸線の道は、桜並木の名所でもあります。
ほぼ満開の桜の並木道が見事で思わぬご褒美に歓声を上げながら、女川に一目散にランチにお茶っこ倶楽部のある医療センターへ。
ここには献花代があり複数のスーツ姿の視察の方らしき団体が街を眺めていました。
医療センターは高台にあり女川の街並みを見下ろすことができます。
2年前にはあった七十七銀行女川支店のビルはもう撤去されその跡地さえどこであるか確認することが難しくなっています。
医療センターを後にし、女川駅前に向かうとそれまで訪れた三陸のほかの町で見たことがないほどおしゃれな街並みが広がっていました。
駐車場に車を止めると小走りにセラミカ工房さんへ。
まるで海外のリゾートにあるショップのように、おしゃれな佇まいのセラミカ工房さんのショップ。
色鮮やかなタイルが鮮やかに商品棚を彩り、商品の種類も増えていました。