【復興支援ツアー2015】《リポート》 防災を学び伝える旅 by kozaitsu

写真の語り部さんの後ろに見えるのが陸前高田市立気仙中学校。
震災直後の津波は3階建ての校舎の最上階まで達し、体育館も含め全壊したが、迅速な避難で生徒と教職員は全員難を逃れました。
津波は校舎の後ろにあった体育館を流すほどすさまじいものだったようです。

気仙沼中学校上の高台から市街地に戻り街の東側の空き地に案内されました。
その空き地前に広がるモダンなつくりの団地。ここは陸前高田の災害住宅地の一つ、『下和田団地』です。

その空き地の向かい側には献花台と様々なお酒が並ぶ小さな祠があります。

そこはかつて震災時に命の危険を顧みず、最後の最後まで陸前高田を守ろうとした消防団のやぐら跡でした。
そこで犠牲となった消防団員はまだ小さい子供をもつ若い団員が多かったようです。

強い浜風のなかお線香を手向けると語り部さんは
「お線香をあげてくれる人なんて初めてだよ」
と嬉しそうに言ってくれました。

陸前高田の消防団の方のお話はマスコミで何度も取り上げられています。
若い団員の方が命の危険を顧みず、最後まで職務を全うされた姿には頭が上がりません。

その祠横のプレハブのお茶屋さんがその祠を守ってくれているということで、早速お話を伺いに。

『小谷園茶鋪』というお店の中には静岡茶とお茶っこにつまめるおいしそうなお菓子や趣味の良い茶器が並び、その奥には「けんか七夕」のミニサイズの山車が飾ってありました。
震災当時のお話をお伺いしながら、おいしいお茶で暖をとることができました。

店主の小谷さんは震災時の写真を見せながら震災時におこった様々なお話をされ、最後に今起きている問題について話題になりました。
陸前高田は1100億円かけて12mかさ上げしているようですが、その工事でほこりがものすごく週末以外は工事車両が多く車の運転が大変なことなど、今でも苦労は絶えないとのこと。
そして人口もどんどん減っていきかさ上げして町を新しく作っても転居した人が戻るかどうかわからない。
「この先どうなるのかねえ」「ぜんぜんわからないねえ」
と語り部さんと小谷さんは遠い目をしながらつぶやいてました。

最初の情報館でのお話と小谷園さんでのお話がはずんてしまい、あっという間に予定の1時間半を過ぎてしまいました。

最後に語り部さんは
「東北の人は辛抱強いなんてよくいわれるみたいだけど
辛抱強いんじゃなくてそうしないと生きていけなかったからね。」
と最後に語ってくれました。続いて
「黙ってこつこつやっているからねえ(復興を後回しにされちゃうんだよね)」
「ただね、失われた暮らしを取り戻したいだけなんだよね。」
とも・・・

巷では東京○リンピックなどと騒がれていますが、お金も工事関係の方も首都圏に行ってしまって復興が遅れてしまっているようです。
それなのに度重なる不祥事でさらに復興の遅れが危惧されています。
復興はオリン○ックが決定される前から始まっているので、優先順位からいうと事らが先なのですがいったいどうなっているのでしょうか。

語り部さんが最後にこんなことも言ってました。
語り部さんや陸前高田の方たちとお話ししているとみなさん気さくでお話しやすい方が多く、よく言われるのが語り部ツアーに参加して元気をもらったという方が多いとのことです。
語り部ツアーは松島の観光船以来2度目ですが、やはりマスコミが伝え漏れていることなど数多く聞くことができますのでぜひ参加することをお勧めします。

語り部さんとは待ち合わせ場所の情報館前でお別れしたのですが、その後改めて復興まちづくり情報館に展示されているパネルを眺めていると、かつての情報館周辺の写真を見つけました。

この写真の手前側が復興まちづくり情報館。そしてガソリンスタンドのセルフと書かれた赤い看板の上あたりまで津波が押し寄せたそうです。

いまではそのガソリンスタンドと情報館と朽ち果てた「タピック45」以外の建物はこの周辺に存在しません。
「タピック45」は訪れた日の河北新報の朝刊に掲載されていたのですが平成18年には建て替えが決定されたようです。
盛り土がおわり街が整備された陸前高田。ぜひそのころまでに訪れまた同じ語り部さんのお話を伺いたい、できれば「けんか七夕」の復活を願います!

語り部さんのお話から学んだ防災の心得
1 地震の揺れでパニックになり実際には考えることができないので、最悪の場合どう逃げるか様々なパターンのシミュレーションしてみる。
2 避難時はリスクを自ら負わない。すこしでも安全な避難経路を確保する。
3 自分の命は自分で守る。また、必ず生き残ると信じて逃げる。
4 津波や地震は1回で終わるものではない。避難先でしばらくは待つこと。
(せっかく避難したのに避難後すぐに家に戻って亡くなった方も多い。津波は夜中まで8回も続いた。)

次の目的地の気仙沼へ向かうべく海岸線を南下します。
気仙沼といえば東北が誇る大漁港。海鮮を食べる目的で気仙沼の復興商店街を目指します。
45号線を海岸沿いに南下し復興屋台村気仙沼横丁に入ると、恰幅の良いおかみさんに導かれ店内へ。
「漁師料理 大漁丸」さんは昼2時過ぎにもかかわらず海鮮や地酒で一杯やっているお客がいて、にぎやかな様子でした。

このお店ではずっと食べたかった『ほや』を食べる夢がかないました!
運転だったからお酒飲めなくて寂しかったのですが。

そしてこのお店のおかみさんはテレビにもよく出るとのことで、自分の出る番組のことをお店を出る時まで話してくれました。
この屋台村は今年で閉鎖されるとのことですがお店は大島で再開するとのことです。

復興屋台村気仙沼横丁を海のほうに進んでいくと気仙沼お魚市場という観光施設の奥に気仙沼市魚市場がありました。

お魚市場は観光客でにぎわっていましたが、気仙沼魚市場は日曜の午後すぎということでがらんとしていました。
市場のあたりでのぞき込んでいると、警備員さんが市場の奥のほうからやってきて
「見学?今はやっていないけど少しならいいですよ」
と、警備員さんに案内されたのは魚市場の屋上。
さすがに大きい市場だけあって巨大な市場に圧倒されました。

市場開催中の見学もOKということなので巨大漁港に次々上がる大量のお魚や漁船、威勢のいい札入れの風景などは朝7:00時ごろがねらい目だそうです。

気仙沼市場をでて、本日3か所目の目的地であるリアスアーク美術館へ。

リアスアーク美術館周辺は桜が5分くらいに咲き、川沿いの桜並木では提灯もついていてそろそろ桜祭りが開かれそうな感じです。

リアスアーク美術館では東北の暮らしや東北出身者のアート作品が展示されていますが、1F常設展示の東日本大震災の記録と津波の災害史が一番の見所です。
展示物は時系列に並べられ、震災後どのような状況だったかどのように復興への道を歩んできたのかが解説されています。
解説の要所要所に防災や避難時のアドバイスがあったので、少しピックアップします。

1 避難する際は孤立する可能性のあるビルなどは避け、人が集まりやすく2次避難のしやすい場所を選ぶこと。
2 津波から逃げる際は最低4回以上の高さのところでビルの場合は鉄筋コンクリートの建物に逃げる。
3 避難所に燃料がなかったので苦労した。これからは避難所に燃料を備蓄すること