コーヒーなどの飲み物ばかりで、いい加減お腹がたぽたぽになってきた頃、新長田の西隣の鷹取駅に向かう途中でコーヒーの焙煎店の店頭に「店内でお飲みいただけます」との看板を見つけた。
中に入ると、「実はね、去年まで隣の喫茶店もやっていたんですが、先日閉めましてね。焙煎の仕事一本でやっていくことにしたんです。でもせっかくいらっしたんですから、狭いところですがどうぞ」と焙煎工場の事務所で深煎りの美味しいコーヒーを頂きながら話を聞かせてもらった。
「長田はケミカルシューズが地場産業で、とくに線路の北側は工場(こうば)ばっかりだったんです。でもどの工場も手狭で、応接室とか会議室なんかなかったので、お客さんが来たり、会合を開く時には近所の喫茶店を使っていた。それが土地の文化だったんです。だから喫茶店もずいぶんたくさんありましたよ」
神戸といえばコーヒーというイメージが強いのは、大手のコーヒーメーカーの本社があるからということだけではなく、地元の生活と密接につながっていたからなのだ。東京や全国各地(名古屋圏を除く)で喫茶店が衰退していく中、いまでも神戸に多くの喫茶店が存続しているのは、地域の人々の生活の一部となっていたからなのだ。
「でもね、震災から後はダメですよ。ウチのお客さん、つまり喫茶店の数は激減しましたし、最初の頃はね、ウチも新長田の仮設商店街にお店も出して、地元の人たちにお応えするんだと頑張ってましたが、とても立ち行かない。だから焙煎と卸しに商売を絞ることにしたんです。それが今年のこと」
21年がんばってきて、その上での方向修正。
「まあ、時代というものなんでしょうからね」
もちろん震災が大きなきっかけだったのは確かだが、それだけではない。町は変わっていく。変わらずに残ったところにも、21年という時間の経過がのしかかっている。
コーヒー豆の卸という仕事柄、東北にコーヒーを届けている人の消息が分かるのではないかと密かに期待もしていたのだが、「いや、聞きませんね。喫茶店関係のことならたいてい話は入ってくるんですけどね」ということだった。
「向かいにね教会があるんです。外国の方もよくいらっしゃるんですが、東北の支援に力を入れられているから、そこで聞けば何か分かるかもしれませんよ」
神戸の喫茶店文化について、お客の目線とは角度から教えてもらえた。自家焙煎のコーヒーは香しくてとても美味しかった。お隣の直営喫茶店が存続していればさぞかし…とも思ったが、その先を考えることにはブレーキをかけた。
アドバイスされた鷹取教会の門をくぐった。教会の敷地内には震災後の活動を展示した部屋もあって、そこには石巻や大槌での新台湾壁画団の活動を紹介する資料もあった。神戸と東北が確かにつながっているエビデンスともいえるものだったが、残念ながら担当者が不在ということで詳しい話は聞けずじまいだった。
ここに「つながり」があると知りながら、それを深めることができないことに、なんとも行き場のないものを感じた、(教会には後日またお邪魔する)
ただ、コーヒー焙煎店で話を聞きながら思ったことがあった。それは、喫茶店巡りを続けてたとえ「その人」に行き会うことができたとして、その人が「はい、私です」と言ってくれるだろうかという疑問だ。おそらく、「分かりまへんな」と微笑しながら応えるに違いない。石巻で名前を伏せている人が神戸で名乗り出てくれるとは思えない。
もうひとつ現実的な「無理」も感じていた。たしかに神戸には今でもたくさんの喫茶店があるが、その多くは昔ながらの店を高齢のマスターやママさんが守っているというスタイルだ。人数は減っているにしても常連客のために今でも早朝から店を開けるような喫茶店だ。そんな喫茶店の店主たちが果たして東北に行って活動できるだろうか。
新しく建て替えられた家々が並ぶ鷹取の町、そして駅前商店街を見て回って、この日はホテルに戻ることにした。帰りの電車から鉄人の後ろ姿見える。パンチするように伸ばした腕が、何か目に見えないものに抗っているように見えた。
神戸は復興したのか? 東北に復興はあるのか?
翌日も徒歩で新長田へ向かう。ルートは海沿いを選んだ。まずはウオーターフロントの再開発地「ハーバーランド」に向かう。ハーバーランドは神戸港沿岸の再開発のうち西側の核として建設された場所で、大きなショッピングモールと公園を複合した施設。観覧車がまわるデッキの上からは、ポートタワーや海洋博物館などメリケンパークが一望できる。
開店して間もない時間だったにも関わらず、ハーバーランドにはたくさんの人が訪れていた。観覧車の側にあるアンパンマンランドにはこども連れの家族が続々と入場していく。
これから再開発が進められていく東北のことをダブらせて想像してみた。かさ上げされた土地に建設される商業施設に、果たしてこんな賑わいがやってくる日があるのだろうか。自問への答えは否定的なものだった。
たとえば陸前高田では新しい商業エリアのショッピングセンターの側に図書館を持って来るらしい。それもアメリカ生まれのコーヒーショップを併設するタイプの図書館になるという噂だ。買い物だけではなく、町なかに人がいてくれる時間を増やすのが狙いだというけれど、その目玉はスタバ(かどうかは分からないが)。
神戸に造られた新しい町のような復興を求めるには、町としての基本的な条件に差がありすぎる。目指すべきものは、少なくともハーバーランド的なものではないだろう。
では、どんなものなのだろう――。
ハーバーランドから海沿いの道を歩いて新長田を目指した。歩きながら考えた。でも答えを見つけるのは難しい。沿岸部には川崎重工や三菱重工の大きな工場(こうじょう)や卸市場が並ぶ。ところどころに震災の被害を免れた下町の町並みが残る。店内で飲み食いできる駄菓子屋さんもある。「この辺は本当に下町ですからね。でもご近所はお年寄りばかりになってきたけれど」。そんな話も聞いた。
ハーバーランドのような華やかな場所が成り立つのは、神戸にたくさんの人々が暮らしてられるからだ。ただ、ジンコウコウセイは変化していっている。キツイ話だがたとえば20年後、お昼前に駄菓子屋の店頭を眺めながら散歩していた人がいるかどうか。重工会社でばりばり仕事している人たちがリタイアした後、居場所があるのかどうか。
東北だけの問題ではないといつも思っていたが、神戸でもそれは当然の問題として存在していた。意識している人がいることも後に知った。ただ、全国的に知られることがなかったというだけのこと。