息子へ。東北からの手紙(2015年3月11日)ここに故郷あり

いわき市久之浜の神社の宮司さんに、びっくりするようなジャンボシュークリームをふるまっていただいた後、原発事故で立ち入りが規制されている地域の神社の話を聞かせてもらった。地震で倒れたままの神社の写真も見せてもらった。避難区域に指定されている地域の神社では、震災後の片付けすら思うに任せないところも数多くあることを教えていただいた。

コミュニティの中に神社があるということ

神社はその土地の自然の恵みとともにある。その土地の人々とともにある存在だ。原発災害で住民が帰還できないほどに土地が汚され、もちろん人々が戻ることが出来ない状況では、神社がこの先どうなっていくのか、見通せない。人がいてこその神社であり、それは人がいてこその国土であるというのと同じことだ。

以前は久之浜は最前線だった。原発事故の後、多くの住民が一時的な避難を余儀なくされたが、人々は4月の声を聞くころには町の片づけを始めていた。町に戻ってくる人も増え始めた。人々の生活がほとんど途切れることなく続けられたという意味からも、久之浜は原発事故で侵された土地に対峙する「人間の土地」の南の最前線だった。

人々が自らの手でつかんだ「人間の土地」

なぜ久之浜が最前線たりえたか。それは原発からほぼ30kmという物理的な事情だけによるものではない。原発事故後に久之浜に戻ってきた人々は、自ら線量計を手に町が安全なのかどうかを測定して回った。安全な場所の中に点在する危険個所を特定していった。側溝の清掃、解体する家屋の片付けなど、復旧に向けての作業に住民とボランティアが協力した。自主的に除染作業の効果測定も行った。

震災直後にネットで出回ったガセ情報を打ち消して、ここが故郷だという証を打ち立てていった。証を立てるという言葉は身の潔白を証明するという意味だが、久之浜は人々が力をひとつにして、町の潔白を実証していった町だった。そして彼らは復興とか復旧という言葉すら使わなかった。彼らが掲げていたのは「再生」と「発展」だった。久之浜はそういう町だった。

その後、立ち入り規制は徐々に後退していって、去年からは国道6号線なら北側の南相馬まで車で通り抜けができるようになった。しかし、避難指示解除準備地域が広がったとはいえ、土地に戻って生活を再建する人はごくわずかしかいない。かつての賑わいからはほど遠い。例えばお祭りや年中行事を集落の神社でということは難しい。神社が機能するのが難しいということは、コミュニティが回復していないということだ。

立ち入り規制が後退していくにつれて、久之浜の「最前線」としての意味合いは少しずつ薄れているのかと思っていた。でも勘違いだった。立ち入り規制が後退して、人間の土地が回復しているように見えるのは気のせいで、制度として、行政としての物言いでしかない。人間の暮らしがある場所という意味で、久之浜はいまもなお最前線なのだ。

のぼり旗が風に破られても

宮司さんは立ち入りが規制されている地域の神社の写真を見せながら、静かに説明してくれただけなのだが、今まで宮司さんや息子の優美さん、町の人たちから聞いた話があふれてきて、上記したようなことを思っていた。

そんな父さんの様子に気付いたのか、宮司さんは別の話をし始めた。「神社の前に旗がありますよね、ここに故郷ありという」。

せっかちな父は、いい旗ですね、じーんときます、など急かされたようにしゃべりたてるのだが、宮司さんは静かに含ませるようにこう言った。

「実は私もですね、この旗の言葉には、自分自身が鼓舞されるように感じるんです」

そして、「この辺りは風が強いでしょう」と続ける。

「建物がなくなって、海が目の前になったせいということなのでしょうが、風が強いんです。旗はいつもバタバタと音を立てています。ですからね、すぐに破れてしまうんです。立てたその日に切れたこともあるくらいです」

宮司さんは住まわれている諏訪神社だけでなく、いくつもの兼務社も担当されているのだが、そのすべてにこの旗が立てられている。風で倒れた旗竿を立て直して、すぐにまた風に倒れてしまったことなど思い出す。

「そんなにすぐに切れてしまうんだったら、もっと丈夫な厚手の生地を使えば1年くらいは持ちますよとアドバイスしてくれる方もいるんです」

たしかに、もっともなことだ。何社もある兼務社を旗の点検のために回るのでは大変だろう。

「しかしですね、私はそういうものだと思うのです。旗が風で切れる。そうしたらそれを新しいものに取り換えればいい。また切れる。そしたらまた取り換える。それを続けていくことに意味があるのです」

息を呑んだ。

「形のあるものは必ずいつかは壊れてしまいます。壊れたら、またつくり直す。壊れたらつくり直す。以前より少しでもいいものをと工夫もしながらつくり直していく。私たちはずっとそうやって生きてきた。だから、それを続けていく」

伊勢神宮の式年遷宮のことを一瞬思う。日本って国は――。

「私たちの国は、ずっとそうやってきたのです。それが私たちの在り方なのでしょう」

くり返し何度でも立ち上がる。壊れたらつくり直す。前よりもよいものを心がけて。宮司さんが別の話を始めたなんて受け取ったのは、父さんの浅はかさのなせること。宮司さんはこころを込めてのぼり旗の話をしてくれていた。

くり返し何度でも立ち上がる。壊れたらつくり直す。前よりもよいものになるように心がけて――。それこそが久之浜を含めた被災地が最前線たるゆえんなんだ。

でも、それだけじゃない。東北の沿岸部のことだけでなく、日本全体にとっても状況は同じなんじゃないか。いま日本ではさまざまなものが壊れている。壊れつつある。ダメになっていきそうだ。

そんな中で俺たちはどうする。何を考えて生きていく。

壊れたらまた新しくつくり直すという、日本人が受け継いできたものは、被災地だけではなく日本全体についても共通する。いや日本だけじゃなく、それは世界にとっても。

宮司さんは「そうかもしれませんね」と静かにおっしゃった。

「ここに故郷あり」。宮司さんにいただいた言葉をもって、しばらく久之浜の町を歩いた。黒田三郎の「紙風船」の詩を思い出した。どうして自分がこの場所に来たいのか、東北の沿岸地方に行きたくて行きたく仕方がない理由がやっとわかった。久之浜の町は今日も風が強かった。涙が止まらなくなった。