東北の友人たちが言うことには。その5「避難所運営のノウハウ」

女川の石田さんの話に続いて、避難所生活について、避難所を管理した側の人からのメッセージをお伝えします。

話してくれたのは松本嘉次さん。2012年の春の甲子園で石巻工業高校を率いた監督さんは、学校では避難所運営を担当する立場でした。学校は海からかなり離れた場所にありましたが、津波はグラウンドに隣接する運河からあふれ出し、周辺のも含めて水没。240人の生徒に加え、600人もの地元住民を受け入れた経験をシンポジウムで話してくれたことがありました。

『72時間』の問題は避難所にもある

学校は敷地が広いので、地域の避難所に指定されている場合が少なくありません。松本さんが勤務する石巻工業にも、生徒の倍以上の人たちが避難してきました。その後、運河からあふれてきた水は地震から3日間たっても引くことなく、石巻工業高校は孤立した状態になったのだそうです。

「学校には食料はありませんでした。津波の後、行ったのは、避難してきた人に手持ちの食料を出してもらうことでした。ポケットに入れた飴やチョコも出してもらって、いったんそれを集め、800人以上の人たちにどう分配するか。けっきょく分配した飴玉1個で3日間を過ごす、といった状況でした。」

3日たった頃には、学校のまわりに警察や自衛隊の人たちの姿が見られるようになりました。しかし、その時点でも水位は1メートル近くあったので脱出できない。生徒の机を水の中に差し入れて、まるで因幡の白ウサギの物語のようにして、老人や体調のすぐれない人たちを避難させたそうです。

「それでも、人間の緊張感は3日間くらいは持続できるのです。しかし、その限界を超えると、避難所でいざこざが起きるようになります。体育館で寝るというだけでも大変なストレスです。考え方の違う人が隣り合わせで、コミュニケーションも不足し、いろいろな欲求不満がたまっていくのですね。しかも、情報がなかった。石巻市は中心部の約6割が水没し、行政も動いてなかったのです。」

非常事態だから結束しようと思っても、3日=72時間もたつと限界を超えてしまう。72時間の壁は災害時の人命救助についてだけではないのです。

避難所で名簿は不可欠だけど

「避難した直後に悩ましかった問題のひとつに、名簿のことがあります。名簿は不可欠なのですが、個人情報保護との兼ね合いがあったのです。」

名簿がないとどうして困ると思いますか。

郵便物や宅配便が届かない?
避難生活が長期化してからは確かにそんな問題もあったけど、それよりなにより、名簿がないと――

安否情報の確認が取れないのです!

名簿をつくる意義はそれだけではありません。持病がある人への配慮、たとえば専用の部屋を用意するなどの対応をとるためにも、誰にどんな配慮が必要かが分かるようにしておかなければなりません。実際、急変の可能性のある病気の人もいて、どのタイミングで安全な場所へ移送するか、頭を悩ませることもあったそうです。

宮城県の個人情報保護条例には、「生命や安全に関する場合は」という除外条項がありましたが、判断は避難所の運営者に一任されている状況でした。この問題は、明らかに整備しておくべきことがらでしょう。

必要な物資は変化する

「避難直後には、食料と水の確保が不可欠なのは言うまでもありません。しかし、必要なものは避難生活の長期化とともに変化していきます。衣類もそうですが、とくに下着類のようにサイズがある品物の確保は難しいのです。数があればいいというものではありませんからね。」

そのほか、季節によっても必要とされるものは異なります。

冬なら暖房器具や毛布などが不可欠ですが、夏場なら扇風機やうちわなどがなければ、人が密集した施設内で過ごすのは困難です。

衛生を保つためのもの、歯ブラシや洗面用具、生理用品も必要です。

「1日、2日の避難では終わらなかった場合、あれも必要、これも必要というものが1~2週間の間に次々と見えてくるのです。」

必要だと分かった時から確保しようとしても間に合いません。事前の検討と準備が不可欠なのです。

地域と学校がいっしょに行う避難訓練が必要

「学校では定期的に避難訓練をしていますが、学校が避難所になることを想定した訓練はほとんど行われていません。はたして学校側は、地域の人たちがどれくらい避難しているか把握しているのでしょうか。」

地域住民も含めた避難訓練は不可欠だと思います。でも、校舎や校門が施錠されている夜間などに災害が発生した時にどうするのか、など解決しておかなければならない問題はたくさんあります。

「3月11日では600人の方が避難されました。この時は日中の地震でした。しかし、その後4月7日にも非常に大きな余震があったのですが、避難してきたのは100人だけ。この時は地震が起きたのは夜でした。」

この話からも、地域の人もいっしょになった避難訓練の必要性がうかがえます。

松本さんが、もうひとつ指摘したいのは、自然災害は地震だけではないということです。火災や地震に対する避難マニュアルはあっても、津波や原子力事故に対する防災マニュアルについては、完備されていないのがほとんです。

「人間は人それぞれ考え方が違います。極限状態になった時『何とかして自分だけは』と行動する人が増えないようにしなければなりません。」

シンポジウムの檀上のみならず、控室や懇親会など、ちょっとした時間でも松本さんは避難所運営の経験についてあれこれ話してくれました。

学校での活動だけでも多忙であるはずなのに、震災の記憶を風化させないための講演なども行われています。

「それが、自分たちの役割ですからね」

被災地で、たくさんの人から聞く言葉です。松本さんの口からも、当たり前のことのように語られたのが印象的でした。

避難所生活については、いろいろな人から話を伺って、ノウハウを蓄積していきます。

文●井上良太