ボランティアガイドをされているSさんと広島平和記念公園を巡っていきます。
動員学徒慰霊塔から元安橋を渡って先へ進んでいくと、左手にヨーロッパ風の外観、クリーム色の建物が見えてきます。現在レストハウスになっていて1階ではお土産や原爆の関連書籍などを販売。観光案内所としても多くの人に利用されています。また、2階はカフェ、3階は展示室・研修室になっていて、修学旅行生などの団体のお客さんが主に使われるとのこと。
ここで以下のような疑問が浮かんできます。
なぜ公園内のほぼ真ん中に慰霊の塔でも石碑でもない建物があるんだろう?
それはこの建物の特徴から知ることができます。
レストハウスの歴史
戦後に建てられたものではなく、もっと古くからありました。ここは爆心地からは西に170mという距離。当時は爆風によって建物内の一部や屋根は吹き飛んでしまいましたが、写真の通り、爆心地側に面している壁には窓が少なく、鉄筋コンクリート造り。こういった点が原型を留めた要因だということでした。
もともとこの場所は市内随一の繁華街。その一角に建てられたのが呉服店でした。木造の住宅や商店が並ぶこのエリアでは際立つ存在。その時代の最先端を行くような珍しい建物だったんだろうなと想像します。
呉服店としてしばらく営業したものの、戦時中は余儀なくお店を閉めることになってしまいました。1943(昭和18)年12月、国策(繊維統制令)を統制する会社が買収。やはり当時は頑丈なコンクリート建物は少なかったようで、空襲の被害を最小限に留められる施設は重宝されていたことがわかります。
レストハウスには地下室があり、誰でも入ることができます。原爆が投下された朝、ここで勤務していた方々が犠牲になりました。先ほど爆風といいましたが、それに加えて熱線により内部は炎上。
そんな中、地下室にいた1人は無事だったといいます。現在はその地下室が当時の状態で残されていて、その方(野村英三さん)の証言やその時の状況をパネルを通じて知ることができます。
その日に限って地下室に書類を忘れたこと。取りに頼もうとした人が忙しそうにしていたこと。こういたことが重なり、原爆投下された時に地下室へ降りていたことが生死を分けたのですが、このような当日のことが生々しく綴られています。
当時の様子を想像できないほど部屋の内部はとても静かな場所です。
一見、外観からは被爆建物には見えないため、通り過ぎる人もいるかもしれませんが、ここでも貴重な被爆体験にふれることができます。