【シリーズ・この人に聞く!第184回】料理家 きじまりゅうたさん

祖母も母も料理家という家庭で育ち軽妙なトークとフットワークのよさ。冷蔵庫にあるものでパパっと見繕い、レシピをうみだせる技!コロナ禍で家飯が増えた今、きじまさん流の手際よいレシピを参考にする人は多いのではないでしょうか。幼少期のエピソードをはじめ料理家として何を伝えていきたいかをお聞きしました。

きじまりゅうた

料理家1981年東京生まれ。祖母は料理研究家の村上昭子、母は同じく料理研究家の杵島直美という家庭に育ち、幼い頃から料理に自然と親しむようになる。立教大学卒業後、アパレルメーカー勤務を経て、料理研究家の道を目指す。杵島直美のアシスタントを経て独立。趣味はサーフィン、ブラックミュージックを中心とした音楽鑑賞。 現在、書籍、雑誌、Web、テレビを中心に活動中。NHK「きじまりゅうたの小腹すいてませんか?」にレギュラー出演中。

僕がしているのは料理の幅を広げること。

――NHKの番組『きじまりゅうたの小腹すいていませんか?』も拝見しています。コロナ禍となって約1年が過ぎますがお仕事にどんな影響がありますか?

かなり影響が大きくテレビのロケ、地方のロケも全てなくなりました。NHKの番組では、本当に一般のお宅へお邪魔して冷蔵庫の中の残り物で“小腹を満たすメニュー"をアドリブで作るんです。お邪魔させていただく方をスカウトするのも僕の役目。毎回テーマがあって、ねらいに合うターゲットを見つけるのに3日掛かったこともあります。でもコロナ禍でそうした方法が難しくなって、スタジオにゲストのお宅にある冷蔵庫を再現して、料理を作るスタイルになりました。こうした企画は、おうち時間の増加で自炊する人も増えたので、料理レシピをもっと知りたい方が多くなり、ありもので料理するモチベーションアップにも役立っているようです。

自宅兼スタジオで大人の出入りが多く、機転の利く賢い幼少期。

――見ているだけでおいしそうですぐ試して作りたくなる手軽な感じがいいです。お料理のプロに囲まれてお育ちで、小さな頃からおいしいものをたくさん召し上がっていらした?

そうですね。食べ過ぎて小学2年生の頃は肥満児。健康診断で要注意のハンコを押されていました。朝から納豆ご飯をたべて、納豆臭い!と一つ上の先輩にいじめられ、ショックでしばらく朝食が食べられなくなったりしたこともありました。祖母は漬物がうまかったので、漬物を大量に撮影することになると、しばらく漬物だけでご飯食べたりなんてことも。

――子どもの頃からおいしい漬物を召し上がることができたなんてうらやましい環境です。

ぼくが産まれた80年代は日本の景気も良く、雑誌や書籍の仕事がたくさんあって週5日は自宅がスタジオを兼ねているような状態。ひっきりなしにカメラマンや編集者とか、いろんな大人が出入りをしていた。僕は一人っ子で、大人の顔色を見てモノが言える子どもでしたね(笑)。その場で誰が一番偉くて、その人に何を言えばどうなるか、など瞬時に判断できるような。周りの同世代の友達が年下の子に見えていましたから(笑)。

――大人に囲まれていた分、賢かったのですね。料理家のバトンを3世代にわたって受け継がれているわけですが、どのような思いでお仕事されていますか?

それぞれ時代と共に料理家の役目を担ってきているように思います。70年代に料理家として始めた祖母は、シェフや海外経験のある一部のセレブがお料理を教えて差し上げるという時代で、いわゆる「おふくろの味」を提唱していました。そして一人娘の母は90年代に料理家となりましたが、時代の流れと共に女性の社会進出があり、仕事をしながら家事もするのが一般的になり時短レシピが求められるようになった。そして僕が今しているのは、男女問わず料理の幅を広げることだと思っています。

サラリーマンを経て料理家の道へ。

――立ち回るのが上手な大人っぽい子は、小学校時代どんなことが得意でしたか?

小学校から近所の私立立教小に通いました。両親とも教育熱心というわけではなく、こましゃくれた子どもだったので公立に行ったら浮くだろう…と近所に立教があったので受験。幼稚園の頃はお受験塾にも通いました。幼稚園の先生に「母は何時にお迎えにきますか?」と聞いて「もうすぐ迎えにくるからね」と諭されたのに「何時にか?と聞いているんです」と時間をしつこく聞いたらしくて(笑)。連絡帳には『時間を教えるのはまだ早いと思います』と書かれていました。時間とか文字を読むのが早かった。本を読むのが好きで、国語が得意で、口もうまかった(笑)。

料理一家で育った(20代の頃)

――大人にとっては手ごわい子でしたね!その頃、何か習い事をされていましたか?大きくなったら何になりたいというイメージはありましたか?

お受験塾の後、小学生時代は小2から小4まで地元の野球チームに入りました。でも、体格が・・・あまり走れなくて辞めた。公文にも行きましたが、簡単な問題から始めるのが苦痛ですぐ行かなくなりました(笑)。それ以外は何もしていないです。基本的に家に帰ってきて大人の輪のなかで過ごすことが多かったですね。ただ、なんとなく大人になってからスーツは着たくないと思っていました。サラリーマンではない仕事をしたかったのは、出入りする大人も割と自由業的なクリエーティブな人が多かったせいかもしれません。

――小学校から大学まで立教で過ごされて卒業後は会社員を経験されたのですよね。やっぱり料理家へ、と転じたきっかけは?

高校時代はアメフト部でしたが大学では体育会には所属しませんでした。大学2年生頃から先輩に誘われてアパレルブランドの事業を展開するようになった。大学では観光学部でしたが、学部化されたばかりの頃で教授も足りず混沌としていて。1年生の時に単位をたくさん修得したこともあり、学校へは全然行かずアパレルの仕事ばかりやって(笑)バイトでしたが。最初は無給でも軌道に乗ってからの収入はかなりありました。それで皆が大学3年になる頃、就活をしているのを後目にそのままアパレル業界へ就職。

景気の浮き沈みもありましたが社会人2年目で、祖母が亡くなりました。葬式の席で、祖母が僕に料理家になってほしいと願っていたと周囲の人から聞きました。そこで、料理家という道を真剣に考えたんです。ただ、アパレルの仕事をすぐ辞めたわけでなく、働きながら池袋にある夜間の調理学校に通い始めて、料理の基本を勉強しました。その頃僕は24歳、周りは18歳。当時の6歳の差は大きかったですが仲良くなりました。

――ご家族に料理の先生がいらしても調理専門学校へ行かれたのは、どんなモチベーションからでした?

座学よりも、調理に関わる実技+理論ということを学びたかったんです。その後、母親の杵島直美のアシスタントもしながら料理家になるべく基礎を身に着けて、同時に雑誌の仕事で20品考えてきてくださいというお題をもらうと、30品以上考えて提案する…というのを繰り返して千本ノック的な鍛え方をしました。それが土台になってレシピのアイデアをうめるようになった。1から創作する料理というか、アイデアや味付けがプラスαあるレシピです。

「諦」という観念。できることを精一杯。

――三世代で暮らすのは幼少期は良いことも多そうです。料理家のおばあ様とのエピソードは何かありますか?

僕は手を動かすことが好きで、絵を描いたり、何かを作るのが好きでした。3歳頃に祖母からステーキナイフを渡されて「これで野菜を切ってごらん」と。撮影している横で本当に何か切ったりすることに夢中になっていました。親だと子どもに怪我をさせたくない。後片付けが大変だ…と先回りして考えてしまうものでしょうけれど、祖父母だとワンクッション挟むせいか、余裕をもって見守ってくれました。僕は料理教室にも、親子ではなく祖父母とお子さんのペアで参加してほしいと思っています。その方が子どもの力は伸びます。

3歳頃には祖母の傍で包丁を使えた。

――なるほど。反抗期とか、面倒くさい時期はありませんでしたか?

うーん。そもそも僕は祖母と二人暮らしが長かったので反抗のしようがなかった。母は仕事も忙しく飛び回っていましたし、父は転勤が多く単身赴任で不在がちなサラリーマン。ちなみに父方の祖父は杵島隆という著名な写真家でした。祖母からすると難しい時期の男子との生活は大変だったかもしれませんが(笑)。

――それでも懐の深いおばあ様がいらしてくださったからこそ今があるわけで。亡くなってから料理家の道へ進まれたこと喜ばれているでしょうね。ところで今、気になるのはどんなニュースですか?

ミャンマーの政権事情が心配です。地元の池袋にほど近い高田馬場にはミャンマー料理の店がたくさんあって、その関係でミャンマーの友人も複数います。料理を通じて社会情勢が見えてくる。香港や中国など日本にいると他国への関心が薄くなりがちですが日本だって、いつどうなるかわかりません。できるだけ海外で何が起きているのか、報道をみながら考える機会をもつようにしています。

――海外の動向も自分ごととして、「対岸の火事」とか「他山の石」としないことですね。では最後に、これからの時代を乗り切るために必要なマインドとはどんなことだと思われますか?

昨年末の締めくくりに選んだ漢字一文字は「諦」でした。『諦める』という言葉は、後ろ向きな気持ちだけでなく、物事を明らかにするという前向きな意味もあります。コロナ禍となって残念なことも多かったけれど、さまざまなことが日の目を見てあからさまになった。その観念は大切にしながら、自分が今できることをやっていくしかないと思います。僕の場合は料理を通じて、食べることの大切さ、楽しさを伝えていくこと。日々それを続けていこうと思います。

編集後記

――ありがとうございました!冷蔵庫のありもので手際よくおいしそうなレシピをうみだす神技を、いつも画面越しに感嘆しています。ご経歴は良家のお坊ちゃまですが、型にハマらず気取らない料理スタイルは庶民の味方。緊急事態宣言解除後の隙間に約1年ぶりの対面取材で、気さくなお人柄もうれしく楽しい取材でした。ますます脂の乗った料理家としての活動を応援しております。

取材・文/マザール あべみちこ

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